欧州への挑戦と五輪への望み――バスケ・石崎巧=bjリーグ経験で着実な成長を残した1年

松原貴実

今季はbjリーグ島根でプレーした石崎巧。bj初の日本代表となったこの1年間を振り返ってもらう 【Photo:中西祐介/アフロスポーツ】

 昨年3月に日本バスケットボールリーグ(JBL)の東芝を辞めてドイツに渡り、帰国後bjリーグのニューフェイス・島根スサノオマジックに入団した石崎巧。bjリーグ初の日本代表選手となり、昨シーズンの日本バスケットボール界において最も注目を集めた存在だったと言えるだろう。

 田臥勇太(リンク栃木)、木下博之(パナソニック)が故障のなか、日本のメーンガードとして出場した昨年8月のスタンコビッチカップ(レバノン・ベイルート)では見事な活躍でチームを準優勝にけん引。新加入ながらプレーオフ進出の立役者となったbjリーグでは6位に終わったものの、日本人選手として唯一のシーズンベスト5に選出された。

 着実に成長の『足跡』を残した1年を経て、今年石崎が向かう先はどこなのか? 東アジア選手権大会(6月10日〜15日、中国・南京)を前にした彼に、昨シーズンを振り返りながら『今季自分が目指すバスケット』について語ってもらった。

熱狂的なブースターの応援に感謝

――まずは昨シーズンbjリーグという新たな舞台でプレーした感想を聞かせてください。

石崎:自分では(bjリーグでプレーするということを)それほど大きな変化だと思っていませんでした。JBLでもbjでもやるのは同じバスケットなので特別何かを意識して臨んだわけではありません。ただうちのチーム(島根スサノオマジック)に関して言えば、指導が行き届いているというか、行き届かせる監督ですから勉強になることは多かったです。

――ジェリコ・パブリセビッチHCの指導は大変厳しいと聞いていますが。

石崎:それはうわさどおりです(笑)。チームとして機能することを絶対条件としたバスケットをするために厳格なチームのシステムを徹底的にやらせるコーチです。
 練習の強度は常に100パーセントを求めているので、ちょっとでも手を抜くことは許さないというか。ただそれは常にフルスプリントをするとか、そういうことではなく、バスケットに向かう姿勢を非常に大事にするコーチだと思います。

――選手の育成に長けたコーチだとも言われていますね。

石崎:そうですね。僕も状況に応じてのアドバイスをよくいただきました。ダメ出しも沢山いただきました(笑)。

――島根はベスト・ブースター賞を受賞したほど熱い応援で盛り上がりました。

石崎:島根に行って最初に感じたのは周りの皆さんの期待がすごく大きかったことです。その期待に応えるためにも、頑張っているからよし……というのではなく、結果を残さなくてはならないと思いました。これまで以上に結果に対して貪欲(どんよく)にならなければいけないと強く感じました。

――その島根では県知事選挙の告知ポスターのモデルにも起用されましたね。すっかり『有名人』になったわけですが(笑)

石崎:あれは自分でもちょっとびっくりしました(笑)。松江は僕が生まれ育った福井と気候とか町の雰囲気がよく似ていて、暮らしていてとても落ち着く場所でした。狭い町なのでどこへ行っても声をかけられて、それが励みになりましたね。遠征にも沢山のブースターの方が駆けつけてくださって、本当にあそこまで熱狂的に応援してもらったのは初めてです。おかげでアウェーでもまるでホームのような感覚で戦うことができました。ものすごくありがたかったし今も感謝しています。

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著者プロフィール

大学時代からライターの仕事を始め、月刊バスケットボールでは創刊時よりレギュラーページを持つ。シーズン中は毎週必ずどこかの試合会場に出没。バスケット以外の分野での執筆も多く、94『赤ちゃんの歌』作詞コンクールでは内閣総理大臣賞受賞。

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