李娜がテニス界に起こした革命=伊達が開けた扉を抜けてアジア人初の頂点へ
全仏オープン女子シングルスで優勝し、新たな歴史を築いた李娜 【Getty Images】
革命の旗手たる自由の女神は、李娜(中国)。アジア人女性として初めてグランドスラム・シングルスの賜杯を掲げ、新たな歴史を築いた中国の大砲である。
「夢が現実になった」
李は優勝の意義をそのように断言する。それは自身の夢のみではなく、中国人すべての夢を指す言葉であった。
「中国には、今までグランドスラムを取った選手がいない。だからどの選手も、必死に練習して勝利を目指してきた。だからこれは、夢が実現した瞬間なの」。
この李の言葉をもう少し拡大解釈させていただくなら、それはアジア人すべての夢だったとも言えるだろう。伊達公子が1995年に全仏でベスト4に進出してから16年。李が10代前半だった頃、すでに引退してはいたものの、アジア最強選手であった伊達を実際に見て、感激したというエピソードが残っている。その伊達が開いた扉を走り抜け、李はついにその先の頂点まで到達した。
強い意志と柔軟性で成し遂げた快挙
球足が遅く、スピンなど回転系のボールが有効とされるクレーにおいては、李のようにフラットにボールを撃ちぬく選手は不利と見られていた。現に李も、準決勝進出を決めた頃には「アジアにはクレーコートが少ないし、私も一番苦手なコート。正直、ここで準決勝まで来られるとは思っていなかった」と、予想外の快進撃にこみ上げる笑いを抑えられない……といった様子だったのだ。
この、本人すら予期せぬ数々の勝利の要因として、李が対戦してきた選手の多くが、フラット系の強打を多用するパワーヒッターだったことが上げられるだろう。
だが、決勝で対戦した昨年の女王フランチェスカ・スキアボーネ(イタリア)は、スピンやスライス、そしてネットプレーなど複数のショットを操るクレーのスペシャリスト。その相手に李は、自らのプレーを真っ向から貫くことで、相手の長所を封じて見せたのだ。
この試合でのスキアボーネは、ネットに出ることも、ドロップショットを打つこともほとんどなかった。その理由を問われると、「相手のボール、特にフォアのショットはどれも深かった。だから前に出ることができなかった」と、李の武器である強打に、自身の持ち味を封じ込まれたことを認めた。その一方でスキアボーネは「彼女はクレーでの動きがとてもうまくなった」と、サーフェスへの適応と上達にも言及している。
彼女の優勝が中国に及ぼす影響力は、この大会中にさんざん語られたトピックである。
きっと、多くの子どもがテニスを始めることだろう――そのような希望を抱く李は、こうも言う。
「アジアは欧米の国に比べテニスの歴史が浅い。だから強い選手が出てくるまで時間がかかったが、これからはどんどん、もっと短いスパンでいい選手が続いてくれると思う」。
アジア人初の優勝という歴史的な出来事も、後に続く者がなければ、単なる一個人の快挙に過ぎない。これを“革命”にするためには、中国のみならず、今後の日本勢の台頭と奮起も不可欠だ。
革命の火の手を上げるに、パリほどふさわしい街はないのだから。
<了>
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