FC東京は20年前の志で東京Vに立ち向かえるか=味スタ決戦! 春の東京ダービー祭り
緑→青赤→悩んだ末にまた緑
本職はデザイナー。東京ガスのサッカースクールを手伝いながら、JSL2部時代、サッカー部のエンブレムやユニホーム、ポスターをデザインする仕事もした。「あのときのギャラをもらってないって言っておいて」と笑顔で冗談をこぼす。本当に伝えておきましょうかと言うと「その時の人はもういないから(笑)」
おしゃれな私服のセンスからもうかがい知れる芸術肌。緑のユニホームを脱いでしばらく経ち、当時は机仕事が板についていた。
すっかり東京ガスに深入りした。わざわざ試合に出るためだけに京都まで行くのなら、東京ガスでプレーしてみれば──と勧められ、青赤軍団に加入。酒もたばこもやめ、ダイエットまでして、東京ガスが関東リーグからJSL2部に昇格するまでの道行きに、コーチ兼任選手として付き合った。
Jリーグがスタートし、苦悩の末にヴェルディ川崎(当時)ユースの監督となるまで、FC東京の大熊清監督とはチームメートであったのだ。「相当古い(話だ)ね(笑)。彼はけががちで、こちらも引退してまた復帰した状態だったから、一緒にプレーした記憶はあまりないけれども」と、川勝監督は懐かしい記憶をたどる。
監督のキャラクターは、最終的にピッチに反映されるだろう。川勝監督から見た大熊清とは、どのような人物であったのか。
「マジメだけど、マジメすぎない。意外に、ちゃんと思い切りは持っていて、キャプテンシーがあってリーダーシップをとれるし、親分肌というかね。あとは、声がでかい(笑)」
キャプテンや指導者向きの雰囲気、大きな声は選手のころからはっきりと分かるものだったようだ。プレースタイルはどうか。
「テクニックというよりはフィジカル、メンタルの強さ。できないことは無理にやらずに、できることを全力でやるタイプだから。自分のことをよく知っている」
FC東京はなぜ弱いのか
できないことに到達する前に力尽きた選手たちに、やればできるはずの“本質”へのこだわりを磨かせた。
大熊監督がよく言う本質とは、端的には球際の競り合いに勝つことであり、豊富な運動量を質を落とさずに維持することである。また、シュートできるポジションにタイミングよく入っていく動き直しを欠かさないなどの具体的なディテールにこだわること、全力でプレーすることである。城福浩前監督時代の、未知のサッカーを手探りするようなわくわく感はないが、上を向くための基礎を再整備する着実さがある。
今年一年はJ1昇格のミッションを達成しながら、J1に上がったときのために本質を磨き、基礎をあらためて身につけ、地力を伸ばすためのシーズンであるはずだ。新たな選手も加わり、チーム作りには時間がかかる。当然、熟成し、個々が本質を磨き、チーム力がついてくるまでの間は苦戦が予想された。
そして苦戦する試合をモノにするためのキーマンが平山相太だった。平山が競り合い、あるいは落としたところを誰かが決める。その1点を守り切って勝つ。
開幕第1節の対サガン鳥栖戦は、いいサッカーができなくても勝つという意味では狙い通りだった。引いた相手に対して自分たちがボールを支配し、圧力を掛け続ければ、確率論的に得点できる。
ところが、まだまだ得点に苦労する序盤戦に、平山が大けがをして不在となってしまった。開幕戦で鈴木達也と平山の“筑波大OB2トップ”が生まれた背景には、戦術的な水準はもちろん、高松大樹、ロベルト・セザー、ペドロ・ジュニオールの状態が十分に回復していなかった事情もある。
昨年の弱さは米本拓司の負傷離脱によるボランチ問題が大きく影響していた。対して今季、Jリーグが再開した後のJ2第8節、9節を1分け1敗と苦しんでいる主因は、FW問題だ。加えて米本が第8節で故障、ボランチ問題をぶり返したことも大きく響いている。
J2各クラブが対策を立ててくることなど織り込み済みだ。しかし、それらの対策に苦労し、ブラジル人選手のコンディションが上がりチームになじむまでの時期を個の力で乗り切るプランは頓挫した。
高松、ペドロ、セザーの仕上げを急いでいるが十分ではない。ボランチのホベルトもひざの状態が思わしくなく、一時帰国した。平山と米本が離脱した影響を払しょくしきれていない。石川直宏が戻ってくれば選択肢は増えるが、故障者とコンディション不良者が多く、J2の“銀河系軍団”は絵に書いた餅となっている。