長谷部誠、ぶれない姿勢と卓越したプロ意識=残留争いという苦い経験を将来への糧に

ミムラユウスケ

監督が誰でも変わらない長谷部の行動

勝ち星に恵まれず厳しい残留争いが続くが、長谷部の意識にぶれはない 【Bongarts/Getty Images】

 イースター休暇を迎えているドイツでは、すでに夏が訪れたかと思うほどの晴天の日が続いている。日差しがきつく、日中を屋外で過ごせば、夜には日焼けのせいで肌がひりひりと痛みだす。しかし、長谷部誠の所属するボルフスブルクは、いまだに冬のような厳しい状況に置かれている。

 3月12日にニュルンベルクに敗れて残留圏内の15位から転落。そこからは勝ち点が伸ばせず、リーグ戦残り4試合の時点で入れ替え戦に回る16位に沈んだままだ。

 2月初めにスティーブ・マクラーレン監督が解任され、そのあとを暫定的に引き継いだピエール・リトバルスキー監督はサッカーの質と試合内容を向上させたものの、結果は残せなかった。しかし3月18日、優勝した08−09シーズンに指揮を執っていたフェリックス・マガトが電撃的に監督に復帰。その出来事が起こったのは、マガトが指揮官を務めていたシャルケを追われてからわずか2日後のことだった。

 それでも、成績が著しく上がったわけではない。今季のボルフスブルクは最も勝ち星が少なく、最も引き分けが多いチームだが、マガト就任後の4試合の成績も3分け1敗。相変わらず引き分けが多く、いまだに勝ち点3をつかんでいない。

 長谷部は、マガト就任直後のシュツットガルト戦でスタメン出場を果たしたのだが、ハーフタイムに交代を命じられてしまった。そして、4月3日に行われた翌節のフランクフルト戦では、90分をベンチで過ごすことになった。

 この間、長谷部は個人的にマガト監督の元を訪れている。
「フリーでボールを持ったときに前に運ばなかったとか、もっと切り替えを早くしろとか、そういう細かいところを指摘されましたね」

 監督の求めるものと、自分が試みたプレーとのギャップについて確認したのだ。指揮官に求められたことを確実に実行する。「それは、監督が誰でも変わらないこと」と長谷部は話す。

味方の緩慢なプレーを声を荒げて指摘

 実際、フランクフルト戦の次のシャルケ戦から、長谷部は再びスタメンに名を連ねるようになった。シュツットガルト戦で途中交代、フランクフルト戦で出番なし。さらに紅白戦でもサブ組でプレーすることが少なくなかった。そうした流れを受けて、ドイツメディアは4月9日のシャルケ戦と16日のザンクトパウリ戦の2試合では、長谷部のベンチスタートを予想していたほどだ。

 ただ、当事者たる長谷部は周囲とは少し異なる考えを持っていた。
「(マガト)監督は練習のメンバーで試合をそのままやることは絶対にないから。練習では常に、自分が(試合に)出たときにどうやるのかを考えているんですよ」
 シャルケ戦でスタメンを知らされる前に、マガト監督は長谷部にこう伝えている。「今週の練習でのプレーが良かったからスタメンで使うぞ」と。

 また、紅白戦ではこんなことがあった。主力組にCKが与えられた時のこと。長谷部はサブ組でプレーしていた。攻撃的MFを本職とするトーマス・カーレンベルクが人数合わせのためにセンターバックの位置に置かれ、明らかに腐っている。今季はアマチュアチーム行きを命じられるなど、実質的には戦力外に近い存在だからだ。CKの際の守備でも、カーレンベルクはマークに付こうとしない。すると長谷部が叫んだ。
「マークが足りないぞ! トーマス、マークに行け!」
 ちなみに、サブ組の中でカーレンベルクの緩慢なプレーを指摘するものは、長谷部のほかにはいなかった。

 長谷部が声を荒げた理由はこうだ。
「残留争いはおれも初めてだけど、大事なのはどれだけ高い意識を持ってやれるかだから。まぁ、メンタル的に難しい選手もいるだろうけど。そんな中で、一番大事なのは自分を見失わずにやること」
 練習から全力でプレーする。厳しい状況に置かれても、それは変わらない。

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著者プロフィール

金子達仁氏のホームページで募集されていた、ドイツW杯の開幕前と大会期間中にヨーロッパをキャンピングカーで周る旅の運転手に応募し、合格。帰国後に金子氏・戸塚啓氏・木崎伸也氏が取り組んだ「敗因と」(光文社刊)の制作の手伝いのかたわら、2006年ライターとして活動をスタートした。そして2009年より再びドイツへ。Twitter ID:yusukeMimura

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