勝敗を分けた“記録に残らないプレー”=タジケンのセンバツリポート2011 第10日

田尻賢誉

「ベースを踏みに行った瞬間にヤバいと…」

準々決勝で敗退した智弁和歌山ナイン。準備と確認不足に泣いた 【写真は共同】

【履正社高 10−3 智弁和歌山高】

 一挙7失点――。
 0対1とリードされた智弁和歌山高の5回の守り。先発・青木勇人、救援した蔭地野正起がともに崩れ、実質的に勝負が決まってしまった。この回は履正社高打線の猛攻を、どうにも止められなかった印象を受ける。
 だが、実はそうではない。記録に残らないひとつのプレーがその後を大きく左右していた。

 5回1死一、二塁。履正社高の正木健太郎の打球は強い当たりで一塁手正面のゴロ。併殺打になるかと思われたが、ゴロをつかんだファーストの平岡志大は一塁ベースを踏んだだけ。ひとつしかアウトを取れなかった。
 これで2死になったものの、二、三塁となり、次打者の石井元のときにパスボール。その後に連続四死球と5連打で7点を失うことになってしまった。

 しっかりと捕球しながら、なぜ二塁に送球ができなかったのか。理由はふたつある。ひとつは、余裕がなかったこと。
「打球が速かったので、捕っただけで『うわっ』となってしまった。守備には全然自信がないので……。ベースを踏みに行った瞬間にヤバいと思いました」(平岡)

 もうひとつは、事前の準備、確認の不足。打球が来たらどうするかを頭の中でイメージできていなかった。
「落ち着いてできてなかった。(状況が)頭に入っていませんでした。一、二塁間のゴロなら、流れで二塁に投げれたと思うんですけど、正面だったので……。準備ができていませんでした。このプレーはヤバいと思って、あの後、青木に謝って『頼むから抑えてくれ』と言ったんですけど……」(平岡)

後悔するショート・小笠原「初めに言っておくべきでした」

 だが、このプレーは当事者の平岡だけに責任があるわけではない。1死一、二塁になった時点で、内野手同士の声かけができていなかったからだ。旧チームからのレギュラーで、昨年春夏の甲子園も経験しているショートの小笠原知弘は言う。
「去年の(ファーストの)山本(定寛)さんに比べて、平岡の方がうまいので安心してる部分がありました。いつもなら普通にこっち(二塁ベース)に投げてくるのに、慌てているのを見て『何でやろ?』と思った。あらかじめ確認しておくべきでした。声を出すのは自分の役割なのに……」
 練習でなら、確実に二塁に投げる場面。練習試合でも、おそらく二塁に投げられているだろう。だが、やはり甲子園の大舞台。接戦となれば、いつも通りにプレーすることは難しい。

 だからこそ、準備と確認を徹底することが必要になってくる。この場合、バッテリーを含む内野陣全員で声をかけ合い、一塁ゴロでも併殺を狙うことを確認しておくべきだった。
「ゲッツーを狙うのが当たり前に思ってました。初めに言っておくべきでした。分かってる“つもり”で終わってしまいました」(小笠原)

簡単なプレーにこそ落とし穴がある

「ビッグイニングをつくったら負けですよ」と高嶋仁監督が言ったように、1イニングでの大量失点は取り返しがつかない。だが、このケースに限らず、ビッグイニングを振り返ってみると、意外と発端は簡単なプレーにある。四死球、失策はもちろん、フィルダースチョイス、ゴロをジャッグルして走者を生かしてしまうなど……。平岡のプレーも記録上はただのファーストゴロ。あとからスコアブックを見ても分かりづらいプレーだ。

 だが、そうしたプレーにこそ落とし穴がある。
「あそこでゲッツーを取ってたら勝てたかもしれないのに……」
 平岡がそう言って悔んだように、技術面以外のミスの場合、後悔は倍増する。だからこそ、準備・確認を徹底してほしい。

 幸い、まだ春。同じ失敗を繰り返さないようにして、夏こそは悔いの残らないプレーを――。小さなミスをバカにせず、確実に防ぐ。誰もができることを確実にやり切る。それが勝利への絶対条件。小さなことを大切にして、勝利をつかんでもらいたい。

<了>
  • 前へ
  • 1
  • 次へ

1/1ページ

著者プロフィール

スポーツジャーナリスト。1975年12月31日、神戸市生まれ。学習院大卒業後、ラジオ局勤務を経てスポーツジャーナリストに。高校野球の徹底した現場取材に定評がある。『智弁和歌山・高嶋仁のセオリー』、『高校野球監督の名言』シリーズ(ベースボール・マガジン社刊)ほか著書多数。講演活動も行っている。「甲子園に近づくメルマガ」を好評配信中。

新着記事

編集部ピックアップ

コラムランキング

おすすめ記事(Doスポーツ)

記事一覧

新着公式情報

公式情報一覧

日本オリンピック委員会公式サイト

JOC公式アカウント