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日本サッカーが韓国コンプレックスを克服した日
蘇る記憶、オフトが刻んだアジア制覇の原点

隣国にはコンプレックスだらけ

日本代表初の外国人監督オフトは、組織的サッカーをもたらし、現在の日本サッカーの原点となった
日本代表初の外国人監督オフトは、組織的サッカーをもたらし、現在の日本サッカーの原点となった【写真:FAR EAST PRESS/AFLO】

 アジアカップ最多となる4度目の優勝を目指す日本は25日、準決勝で隣国のライバル・韓国と対戦する。2010年ワールドカップ(W杯)・南アフリカ大会では共にベスト16進出を果たし、今でこそアジアをけん引する良き好敵手として切磋琢磨(せっさたくま)している両チームだが、ライバルと呼べる関係になったのは、ここ20年のことだ。韓国のチョ・グァンレ監督が「選手時代から日本を恐れたことはない」と話すように、かつて両チームの間には歴然とした差があった……。


 Jリーグが誕生する前の日本は全くと言っていいほど韓国に歯が立たず、韓国に強いコンプレックスを抱いていた。それを払しょくしたのが、W杯米国大会・アジア最終予選、いわゆる“ドーハの悲劇”を戦ったオフトジャパンだった。日本代表初の外国人監督ハンス・オフトが率いたそのチームにおいて、キャプテンを務めた柱谷哲二は、韓国に対する意識をこう語る。

「オフトが監督になる前は、何回やっても韓国には勝てないと思っていた。今でこそ良きライバルって言われているけれど、その当時はライバルなんて言えたもんじゃない。正直、韓国コンプレックスはあったと思う」


 オフトジャパンでは本職のセンターFWよりも、右サイドを主戦場としていた福田正博もそれを認める。

「1990年に第1回のダイナスティカップがあったんですけど、日本は、韓国、中国、北朝鮮と戦って1点も取れずに3連敗した。そういう時代だったんです。当時は、世界を意識する前に、まず韓国に勝たなければその先はなかった。フィジカルの強い韓国を越えるためには、フィジカルを鍛えなければいけないという考えがあり、オフトが来る前は特にフィジカルトレーニングを重視していた。きつい練習をすると、『韓国はもっとやっているぞ』って言われたことが、今も耳に残っているくらいですからね」


 それまで日本代表と名の付くものには縁がなく、オフトによって代表に引き上げられた森保一も似たような印象を持っていた。

「代表に招集される前に、日韓定期戦(91年7月27日)を見た。結果は0−1でしたが、日本は圧倒的に押されていて、何もできずに終わるというような一方的な試合展開だった」

オフトは韓国のメンバー表を地面にたたきつけた

オフトジャパンの主将を務めた柱谷。“闘将”もかつては韓国コンプレックスを抱いていたという
オフトジャパンの主将を務めた柱谷。“闘将”もかつては韓国コンプレックスを抱いていたという【佐野美樹】

 オフトは日本代表の監督に就任すると、「スモールフィールド」「トライアングル」といった、当時はまだ知られていなかった専門用語を用い、細かい指導によって組織的なサッカーを作り上げていった。基礎的な練習に反発する選手もいたが、親善試合などで結果が出ると、指揮官への求心力は高まっていった。森保は言う。

「オフトは組織的に戦えば、フィジカルの強い相手にも勝てるということを教えてくれた」


 自信をつけた選手たちは、第2回ダイナスティカップ(1992年)に臨む。初戦の相手は韓国。すでに柱谷、福田、森保ともに、自分たちに起こった変化に気づいていたというが、日本はこの試合を0−0で引き分けてしまう。敗れはしなかったが、韓国に対する苦手意識を完全にはぬぐい去ることができなかったのだ。その後、日本は中国、北朝鮮に勝利し、決勝で再び韓国と激突することになる。その試合を前に、オフトはある行動を起こす。話を聞いた3人によると、オフトはさほどパフォーマンスをする監督ではなかったという。それだけに20年近くが経とうかという今も、彼らはオフトが取った行動を覚えていた。


「あれは確か雨が降っていたと思う」と柱谷が思い出す。

「韓国のメンバー表を手にロッカールームに戻ってきたオフトが、いきなりその紙を手で丸めて、地面にたたきつけた。それで『過去のことは忘れろ。お前たちが戦うのは韓国じゃない。自分たち自身だ。自分たちを信じて、これまでやってきたこと、やるべきことをやるんだ。そうすれば絶対に勝てる』って言った」


 普段は模造紙を使って戦術を説明するオフトだが、この時だけは違った。選手たちの韓国コンプレックスを打ち破るため、感情的なパフォーマンスをしたのだ。それは韓国を恐れることなく、自分たちのサッカーをすれば勝てるという、指揮官から選手たちへの熱いメッセージだった。


 指揮官にハッパをかけられ、闘争心をかき立てられた選手たちは、先制されるも追いつき、2−2で延長戦を終えると、PK戦の末、韓国に勝利する。これが日本にとって初の国際大会優勝だった。「オフト時代は、後にも先にも韓国には負けていないからね」と柱谷は答える。福田もこれにより韓国への苦手意識が消えたと話す。

「それまで韓国と試合をすると、疲れるのはいつも日本の方だった。無闇やたらに動いて疲れていたけど、この試合で先に足がつりだしたのは韓国の方だった。その時、サッカーって組織的に戦えば、フィジカルで上回る相手にも勝てると初めて思った」


 森保はケガにより決勝には出場できなかったが、初戦で対戦した時に、すでにそうした感覚を得ていたという。

「韓国はすごく強いというイメージを持っていたけど、実際に対戦してみたら、相手の方が先に体力を消耗していって、試合中に『やれる』って思った。初戦の結果は0−0だったけど、自分としては対等に、それ以上に戦えるって感じていた」

原田大輔
1977年、東京都生まれ。『ワールドサッカーグラフィック』の編集長を務めた後、2008年に独立。サッカーを専門にした編集プロダクション「SCエディトリアル」を立ち上げ書籍・雑誌の編集・執筆を行うほか、Jリーグの取材も精力的に行っている。『ブラジルワールドカップ観戦ガイド完全版』(TAC出版)を監修。『FOOTBALL DAYS』(ぴあ)の編集にも携わった。

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