日本サッカーが韓国コンプレックスを克服した日=蘇る記憶、オフトが刻んだアジア制覇の原点
日本が目指しているサッカーの原点
福田はオフトの下で戦い、「フィジカルで上回る相手にも勝てる」と実感。韓国への苦手意識も消えた 【佐野美樹】
「初めてアジアカップに優勝したことで、ほかのアジア勢から、強豪として見られるようになった。その後のW杯予選では明らかに相手の戦い方が変わった。それまで対等に勝負を挑んできたけど、W杯1次予選では引いてカウンターを狙ってくるチームが増えた」
韓国だけでなく、中国や北朝鮮に勝つことすら難しかった日本は、オフトという1人の外国人監督に導かれ、組織的なサッカーを身につけると、アジアの列強となった。森保は今の日本が目指しているサッカーの原点がここにあると言う。
「組織で戦うことが日本の強みだということをオフトは教えてくれた。チームのためにプレーすることによって、より力を発揮できるという、日本人の長所を教えてくれた。それまでの日本は、ただ良い選手を11人並べていた。でも、オフトはよりチームとして機能する11人を起用した。それによってアジアで戦えるようになり、世界にも初めて近づくことができた」
“ドーハの悲劇”で笑った韓国
オフトのサッカーを象徴していたのが、ボランチ森保の存在。そこには日本が目指すサッカーの原点がある 【佐野美樹】
しかし、勝てば初のW杯出場というイラクとの最終戦で悲劇が起こる。2−1とリードして迎えたロスタイムに、ショートコーナーからクロスを上げられると、同点弾を決められてしまう。それは今なお“ドーハの悲劇”として語り継がれる瞬間だった。結果は2−2の引き分け。これにより日本はW杯出場を逃してしまった。この時、日本と同勝ち点ながら得失点差で2位となり、W杯出場を勝ち取ったのは韓国だった。
最終予選で満足のいくプレーができなかったと語る福田は、当時の自分には勝者のメンタリティーが備わっていなかったと振り返る。
「僕自身は最終予選では全然、思うようなプレーができなかった。ずっとふわふわしている感じで……。今、考えると、あれがプレッシャーというものだったのかなと思う。当時はちょうどJリーグができる直前で、日本サッカーは過渡期にあった。まさに僕らは日本サッカーの未来を背負って戦っていた。それは今まで経験したことのないようなプレッシャーだった。そうした中で勝つことに僕は慣れていなかった」
今の日本に韓国を恐れる要素はない
そこには、“ドーハの悲劇”と言われる舞台を戦ったころの日本が掲げた組織的なサッカーが脈々と受け継がれている。また、当時の日本に足りなかったものが、勝者のメンタリティーだとするならば、中国で開催された2004年アジアカップで劇的な勝ち上がりにより優勝したように、アジアの強国としてのメンタリティーは確実に養われてきた。
今大会もベスト8のカタール戦で、先制されながらも追いつき、数的不利を跳ねのけ、逆転勝利を収めてみせたように――。今の日本に韓国を恐れる要素は1つもない。(文中敬称略)
<了>
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元広島/神戸監督のスチュワート・バクスター、横浜Fをバルセロナのドリームチームに仕立て上げ鮮烈な印象を残したカルレス・レシャック、V川崎、名古屋、そして現在は柏とJ3クラブの監督を歴任してきたネルシーニョがインタビューに登場。また、1982年から日本サッカーにかかわり、外国人初の日本代表監督を務めたハンス・オフトの功績を、柱谷哲二、福田正博、森保一の各氏が検証する。そのほか、松井大輔、稲本潤一、福田健二らのインタビューも掲載。