クルム伊達が逃した白星=進化を続ける40歳の挑戦

内田暁

互いに「やりづらい」相手

一時はペースを握りながらも、1回戦を突破できなかったクルム伊達 【Getty Images】

「自分と同じようなタイプの、やりづらい相手……」

 全豪オープンのドローが確定し、その中に自分、そして初戦の対戦相手の名前を見つけたとき、クルム伊達公子(エステティックTBC)はそう思ったという。
 
 伊達が、自らと似たタイプと評する対戦相手のアグニエシュカ・ラドワンスカ(ポーランド)は、選手の大型化が顕著な昨今の女子テニスにおいて、身長173センチ、体重56キロと小柄な部類。速いサービスや、一撃で相手を粉砕するパワーの持ち主ではないが、多彩なショットと配球の妙、そして、体勢を崩しながらもボールを返せる突出したリストワークで、この3年間、常に世界ランク10位前後に居るトップ選手だ。
 
「嫌な相手に、初戦で当たってしまった」と思っていたのは、実はラドワンスカも同じだった。昨年末に足を手術し、今大会の出場も危ぶまれていたラドワンスカは、全豪初戦が術後初めての試合。「できれば楽な相手と戦いたいと思っていた。キミコは経験豊かで、相手を振り回すのが巧みな、とてもいい選手だというのは分かっていた」と、相手もやはり伊達を“自分と似たうまい選手”として警戒していたのだ。

 互いが互いを「やりづらい」と認識し、ネット越しに対峙(たいじ)した一戦。だがそれが、見る側にとってはこの上無く“かみ合いのいい”、多様性とスーパーショットに満ちた高質のエンターテインメントになるのだから、どこか皮肉めいている。

 試合時間2時間35分、総ポイント数216。これらの数字だけでも熱戦を想像するに十分だが、そこに練りこまれた濃密な駆け引きや、息を飲むような繊細なショットの数々は、スコアシートでは決して測れない真実だ。

勝利をつかみかけた伊達だが……

 この試合が他のそれと最も大きく異なっていたのは、コートの使い方だろう。パワーとスピードが支配的な昨今において、あそこまでコートが広く使われるテニスは、めったにお目にかかれない。
 今さらもったいぶって言うまでもなく、テニスとは3次元空間を用いながら、2次元である相手コートに、いかにボールをバウンドさせるかの競技である。左右で決めきれなければ前後で揺さぶり、平面での突破口が塞がれれば高さを使う。「相手の居ない所にボールを打つ」という極めてシンプルながら実は最も難解なことを、二人のテクニシャンは、いとも簡単そうにやってのけた。

 何本かのラリーが交わされるなかから、どちらかがリズムに変化をつけた時、それが合図であるかのように、二人の選手が、そしてゲームがめまぐるしく動き出す。ドロップショットの応酬、コートを低く滑るスライス、ロブ、そしてボレー。他の選手なら最初の一本で終わっていたかもしれないショットが、より高度な打球となって返球され、その後も3回、4回、5回と多彩なショット交換が続いていく。テニスを良く知り、明確なゲームメイクの意志と豊かなイマジネーションを持ち、そしてそれらを体現し得る技術がある者同志だからこその、ある種の合意や意思疎通が、そこには成立していた。
 
 第1セットは4−6でラドワンスカ、第2セットは6−4で伊達。

 だが保たれていた均衡が、第3セット中盤から崩れ出す。伊達のドロップショットを、ラドワンスカが追えない。逆にラドワンスカのドロップショットやボレーが、ネットを越えず自身のコートにポトリと落ちる。久々の実戦が強いた疲労からか、世界14位の21歳は、動きにもショットの精度にも、精彩を欠き始めた。伊達がリードを広げて4−1。試合は、決したと思われた。

勝負を左右したタイムアウト

 そのとき再び、ラドワンスカが仕掛ける。だがそれはコートの中ではなく、選手に許されたルールを用いての術策。「背中を負傷した」とメディカルタイムアウトを要求し、試合の流れを断ち切ったのだ。
 試合後に吐露した「1−4となった時点で、負けを覚悟した」というラドワンスカの言葉は、本音だろう。疲れからきた痛みもあり、わらをもつかむ気持ちで取ったタイムアウトだったはずだ。だが「やはり年齢のせいか、一度体が冷えてしまうと、どうしても動きが悪くなる」という伊達にとって、この中断は致命的だった。再開後、明らかにパフォーマンスの落ちた伊達は3ゲームを連続で失ってしまう。一時は、客席から送られる大声援に後押しされ再度リードも奪うが、最後は足にケイレンが走り、悔し涙をのむ結末となった。

「復帰してからのここ2、3年は、パワーテニスにいかに順応するかが課題だった」
 そう語る伊達は、確かにディナラ・サフィナやマリア・シャラポワ(ともにロシア)らパワー偏重の選手を破る一方、プレーの多様性を誇る選手を苦手にしている側面があった。だが昨年の終盤以降は、自ら先に仕掛け、ネットに出て仕留めるなど攻撃のバリエーションを増やし、サマンサ・ストーサー(オーストラリア)ら完成度の高さで知られる選手をも撃破している。勝負事に「たら・れば」は禁物だが、今回の全豪でも、あのタイムアウトがなければ、伊達の犠牲者リストに、ラドワンスカの名が記された可能性は高い。

 あと一歩のところで逃した、大きな金星。だが「帰国したら、どうして中断後に動きが悪くなるのか、その原因をドクターに聞き解決策を見つけたい」と語る伊達の視点は、すでに先を見据えている。
 
「今ここに居られることに満足もしているが、コートに入り負ければ悔しい」

 戦うごとに課題を明確にし、それを確実に克服して結果を残し続ける、負けず嫌いで完璧主義な40歳。

 その進化の歩みは、まだ止まらない。

<了>
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著者プロフィール

テニス雑誌『スマッシュ』などのメディアに執筆するフリーライター。2006年頃からグランドスラム等の主要大会の取材を始め、08年デルレイビーチ国際選手権での錦織圭ツアー初優勝にも立ち合う。近著に、錦織圭の幼少期からの足跡を綴ったノンフィクション『錦織圭 リターンゲーム』(学研プラス)や、アスリートの肉体及び精神の動きを神経科学(脳科学)の知見から解説する『勝てる脳、負ける脳 一流アスリートの脳内で起きていること』(集英社)がある。京都在住。

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