誤算が招いた明暗――2強決戦の舞台裏=箱根駅伝
早大は選手層の厚さでピンチをしのぎ、18年ぶりの総合優勝を手にした 【写真:北村大樹/アフロスポーツ】
しかし、その激しい優勝争いの裏側では、両校ともに大きな誤算を抱えていた――。
のちの勝負を揺るがした、早大・1区大迫の起用
志方は12月頭に右足甲の骨折が判明し、かすかな期待を持ってエントリーメンバーには入れたが、間に合わなかった。そして本番1週間前には、佐々木が座骨神経痛でギブアップ。チームは危機的な状況になった。
「当初は5区に佐々木を使い、志方を8区に置いて東洋大の千葉優(4年)を粉砕するつもりだったんです。気持ちが強い猪俣英希(4年)が9区で、三田裕介(3年)か中島賢士(4年)を10区にと思っていました。でも、その配置が崩れる危機感で、逆にチームがまとまり、層の厚さで勝てる要因になったと思います」
こう話す渡辺監督が最後まで迷ったのが、1区と3区の起用だった。大迫傑(1年)と矢沢曜(3年)のどちらを1区に持っていくかだ。5区を猪俣に決めたが、そうなると東洋大の柏原竜二(3年)には4分負ける可能性がある。そのロスを4区までで埋めるにはどちらの方が効果的かと考えたのだ。
結局、区間エントリー前日に選手に伝えたのは「1区大迫」だった。渡辺監督は「出雲と全日本もそうだったが、今回も区間配置でのひらめきがすごくさえた」と自画自賛する。独走になっても確実に走る2区の平賀翔太(2年)の力を最大限生かすには、1区で極力後ろとの差を開いて、1位で平賀につなげることが望ましい。2年前には矢沢が1区の19.5キロで後続を振り切って区間1位になったが、8位東洋大までには18秒差しかつけられなかった。
もちろん矢沢もその当時より力は付けているが、11月下旬の上尾シティハーフマラソンで1時間01分47秒の日本ジュニア新記録を出している大迫の方が、自信を持ってスタートから行けるだろうと期待したのだ。その作戦はズバリと当たり、1区で2位の日大に54秒、8位東洋大には2分01秒差をつけた。
東洋大の酒井俊幸監督は「1区の2分差が最後まで響いた。集団が中盤でもう少しペースを上げてくれて1分差くらいになっていたら違う展開になったはず」と悔しがる。
山での戦い、東洋大に降りかかった大誤算
その上で、4区までの早大とのタイム差は、2分が限度と想定していたのだ。結局2区以降は、ほぼ思った通りの走りをしたが、1区で先手を取られたのが響いて、4区終了時にはトップの早大に2分54秒差。柏原は予定通りに5区でトップに立ったが、早大には27秒差しかつけられなかった。
「柏原は今回はあれが精いっぱい。3区の設楽悠太(1年)と4区の宇野博之(3年)も、もう少しタイムを稼げたとは思うが、スピードがある早大に対しては、こちらがパーフェクトでないと勝てない。向こう(早大)は最初の5キロを14分30秒、10キロを29分ちょいで入ってくるから、それに対抗するには1キロ3分のペースを維持するだけの戦いでは駄目だと感じました」と酒井監督は言う。
一方で早大・渡辺監督は、「柏原がいたからこそ、彼がいる東洋大に勝ちたいという思いでチャレンジできたと思う」と話す。
5区で、柏原との差を27秒に抑えた早大・猪俣の走りは渡辺監督にとってはプラス、東洋大・酒井監督にとってはマイナスの誤算だったが、早大・高野寛基(4年)が復路6区を58分55秒で走ったことも、両者にとっては同じような誤算だった。
「高野は箱根初出場だが、早い段階から下りの準備ができていて、去年もスペシャリストの加藤創大がいなければ使っていた選手。スピードはないが、平坦になる箱根湯本からのたたき合いでは負けない自信があったから、59分30秒では行くと思っていた」と渡辺監督は言う。
一方、東洋大・酒井監督は「(6区の)市川孝徳(2年)はラストに不安はあるが、この1年で成長しているから、区間配置に間違いはなかった。ただ早大の58分台は予想外。結局2日ともスタートで先手を取られてしまった」と振り返る。