大宮アルディージャ、激震に見舞われた2010年=新たな未来へ、目指すべきは原点回帰

土地将靖

塚本の病気を機にチームが1つに

病魔に侵された塚本の背番号「2」を表し、ゴールを喜ぶ選手たち。大宮は開幕戦で圧勝し、幸先の良いスタートを切ったかに思われた 【写真:日刊スポーツ/アフロ】

 2010年シーズン最終戦となった横浜F・マリノス(以下、横浜FM)戦は、今シーズンを総括するだけでなく、大宮アルディージャにとって、いわば来季へのスタートとして重要な一戦だった。
「チームとしてもう1つ先へ行くためには、(J1残留を決めた)こういう状況の中で、ひと安心しないで勝てるかどうか。それがチームだけではなく、選手としても次につながっていくことになる」

 鈴木淳監督の言葉通り、選手はピッチで躍動した。しっかりとボールを保持しながら敵の守備陣の穴を探り、機を見るや縦にボールを動かしていく。横浜FMの猛攻に耐え、セットプレーから先制し、試合終了間際にはとどめを刺した。その勝利は、激動の2010年シーズンを乗り越え来季へ向けて生まれ変わろうとする、新しい大宮アルディージャとしての所信表明となった。

 さかのぼれば1月18日、埼玉県志木市のNTT東日本志木総合グラウンドで、チームは始動した。登録選手全員がそろうのが通例だが、外国人選手については来日スケジュールが整わず遅れることもある。この日もドゥドゥが不在だったが、もう1人、練習に参加していない選手がいた。チーム関係者によると「去年からのひざの慢性的な痛みで、別メニューです」とのこと。だが、続くグアムキャンプ、宮崎キャンプにもその選手は帯同せず、番記者たちも色めき立ち始めた。そんな中、クラブはシーズン開幕を1週間後に控えた2月27日、緊急の記者会見を開く。始動から不在だった選手――塚本泰史は病魔(右大たい骨骨肉腫)に侵されていた。

 選手たちには、1月24日にNACK5スタジアム大宮で行なわれたファンフェスタ後に伝えられていた。おのおの、塚本の悲劇を心の内に秘めてキャンプに臨み、開幕へ向けてのチーム作りを進めていたことになる。主将の藤本主税はその心中をこう語った。
「動揺はなかったですね。逆に、泰史を元気づけてやろうと。とにかくあいつの笑顔が見たいという一心でやってきた。逆にチームが1つにまとまったというか、みんなが引き締まってくれた」

 その思いが開幕戦で開花する。今季J1復帰を果たしたセレッソ大阪をホームに迎え、チームもサポーターもひとつの思いの下に戦った。ゴールが決まるたびに、選手たちはVサイン――塚本の背番号2を天に突き上げた。チームの思いを受け取った塚本が、今度は自身の闘いへ臨んだ。開幕戦の3日後、塚本は手術台に上がり右ひざにメスを入れた。
 塚本の闘いはまだ続いているが、手術は成功、チームも開幕戦に勝利と、考え得る限りの最高のスタートを切ったかに見えた。だがその先には、大宮をまた新たな困難が待ち受けていた。

エースと精神的支柱が離脱、監督は辞任

 開幕戦、C大阪に3点差をつけたロスタイム。決定的な縦パスにダッシュしたラファエルは、次の瞬間右太もも裏を押さえ倒れ込んだ。右ハムストリング肉離れで全治2カ月。得点を決めるだけでなく、攻撃のすべてにおいて中心的役割を担うエースの離脱に、チームには暗雲がたれ込めた。
 結果が出ない。得点が決められない。開幕戦の3得点がうそのように、以降の試合はナビスコカップを含めマルチゴールがなかった。選手を入れ替え、4−1−4−1への布陣変更も試すが効果はない。第3節の鹿島アントラーズ戦では藤本がひざを痛め途中交代し、その翌節から戦線を離脱。エースに続き精神的支柱も失った。敗戦が選手たちの自信を失わせ、また次の敗戦を招いてしまう負のスパイラルにはまり込んでしまっていた。

 当時の指揮官だった張外龍氏は「選手とスタッフは一致団結して必死になってやっている」と、チームのまとまりに変わりがないことを強調する。だが、縦パス1本で好機をうかがう張氏のサッカーに対し、「単調に裏を狙うだけでなくボールを回す時間帯も必要」という声が選手からも聞こえてくる。当の張氏も得点力について「やり続けても身につかないスキルがある」と、選手の能力への疑問符かとも思える発言をしたことがあった。結果が出ない限り、チームの瓦解は時間の問題にも見えた。

 リーグ戦第8節の清水エスパルス戦に敗れた翌々日の4月26日、張氏からの申し出を受け、クラブは指揮官交代を決断した。リーグ戦1勝2分け5敗。ナビスコカップグループリーグ2試合を含め、開幕戦以降の公式戦で白星なし。順位はついに17位となっていた。

鈴木監督が就任、チーム力アップへもがき続ける

 張前監督の辞任を受け、クラブは鈴木監督を招へいした。アルビレックス新潟を上位争いのできるチームへと押し上げた実績ある指導者だが、就任初戦となった京都サンガ戦こそ勝利したものの、チームは劇的に変化――良くなったというわけではない。選手のポテンシャルを認め、個々の成長を促すことで組織全体の成長=チーム力の向上を求めた。特殊な戦術や新戦力といった、即効性の高い「抗生物質」を服用するのではなく、「漢方薬」で体質改善、体力アップに努めたとでも言うべきか。

 最も重視したのは判断力。
「一番いい状況は何なのかということを考えてプレーすること」(鈴木監督)
 ただし、判断基準を与えるのは指導者であったとしても、実際に試合が行われている中で瞬時に判断しプレーを選択するのは、選手自身だ。ポジショニングやタイミングなど、正確な判断基準を体に染み込ませる必要がある。日々の練習はひたすら反復であった。
 意識が整えば、次はオートマティズム。
「考える時間があるから、どうしても時間的にずれが生じて後手に回る場面がある。習慣化されなければ、チームとしての一体感や連動性も生まれてこない」(鈴木監督)

 同時に、埋もれかけた既存戦力の発掘にも力を惜しまなかった。ナビスコカップでは2年目の福田俊介を先発で起用。また、3年目の渡部大輔を右サイドバックに、ルーキーの木原正和をボランチにコンバートした。鈴木監督就任後の登録選手は、2種登録を含め33名。その内の実に27名を公式戦で起用した。経験不足が否めない面は確かにある。だが、実力を認め公式戦で実戦経験を積ませることで、やはり選手の成長を促進させた。

 6月の群馬県嬬恋村キャンプでは、新戦力の李天秀と鈴木規郎が加わる。8月には李浩が加入した。試合結果こそ勝っては敗れ、引き分けてまた勝って――と一進一退。陣容の整ったチームは、チーム力アップへもがき続けていた。

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著者プロフィール

1967年1月28日、埼玉県生まれ。93年、現在のWEB版「J's GOAL」の前身である試合速報テレホンサービス「J's GOAL」にて、試合リポーター兼ライターとして業界入り。2001年よりフリーランスとなりライターとして本格活動を開始、大宮アルディージャに密着し週刊サッカーマガジン(ベースボール・マガジン社)ほか専門誌等に寄稿している。

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