マラドーナの誕生日
マラドーナにとって、50歳の誕生日はあまり喜ばしいものではなかった。2つの理由がある。1つは、ワールドカップ(W杯)でのアルゼンチンの成績がかんばしくなかったこと。いつものとおり、アルゼンチンは優勝候補に挙げられていたが、今回も準々決勝でドイツに敗れてしまった。それも0−4の完敗である。もう1つの理由は、元アルゼンチン大統領のネストル・キルチネルがマラドーナの誕生日の数日前に死去したからだ。彼は、かつてマラドーナの保証人だった。
10月28日、誕生日を祝福するかわりに、マラドーナは大勢の人々とともに元大統領の葬儀に参列した。
「親友というほどの間柄ではなかったし、さほど頻繁に会っていたわけではないけれども、彼は理想に生きた男だったと思う。わたしのアイドルであるチェ・ゲバラ(※アルゼンチン生まれの革命家、キューバのゲリラ指導者)のようにね。ネストルがゲバラのような資質を持っていたのは本当だ」
セレモニーの後、マラドーナは『エル・ディエス』紙にそうコメントした。時期を同じくして、アルゼンチン協会はセルヒオ・バティスタをアルゼンチン代表監督に指名した。バティスタはW杯後に暫定的に指揮を執っていたが、これで正式に代表監督になった。リオネル・メッシもバティスタ監督を認めていた。
「僕は、このまま彼が監督になってくれたらいいと思っている。グループは機能しているし、現在のプレーのやり方はとてもやりやすい」
バティスタ監督の就任は、マラドーナを暗い気分にしている。人生でも最も悲しい誕生日だとさえ言っているのは、代表監督として誕生日を祝いたかったからだ。
マラドーナはプレミアリーグに関心があるという。『スカイスポーツ・ニュース』で、「プレミアリーグの監督をやれればと思っている」と話した。
「素晴らしいチームがたくさんあるし、選手のレベルも例外的に高い。ただ、唯一の問題はわたしが好きなクラブにはすべて良い監督がすでにいることだね。もし、意義のあるオファーがあれば受けると思いますよ」
ここ数カ月に、いくつかのうわさがあった。なかでもアストン・ビラが有力視されているが、マラドーナは慎重だった。
「わたしはどこにも売り込みはしていないし、どこからのオファーも届いていない。これははっきりしておきたい。いつか、わたしはアルゼンチン代表の仕事に戻るつもりだしね」
86年W杯では、おそらく最も有名はコメントを残した。
「どうやって得点したかって? それは神の手だった」
1年後、こちらはそんなに有名ではないが、ホモセクシャルについて質問されて、こう答えている。
「おれはホモじゃないよ。でも、連中がいてくれてうれしいんだ。だって、それだけ多くの女性が本物の男に回ってくるからさ」
94年W杯では、ドーピング検査で微量のエフェドリンが検出されて出場停止に。マラドーナは「やつらが足を切った」と語った。「やつら」が誰を指すのかは明らかではないが、おそらくそれはFIFA(国際サッカー連盟)でありアメリカ合衆国(開催国だった)であり、あるいは彼が忌み嫌っていた権力全体を指すようだ。代表キャップ91(34ゴール)で、マラドーナの代表歴は止まってしまった。
1年後、かつてのチームメート、ダニエル・パサレラ監督がアルゼンチン代表選手たちに長髪を切るように指示すると、マラドーナはあけすけに反論している。パサレラが長髪を禁止したのは、選手たちが試合中にあまりにも髪を気にしていたからだが、
「そのうち、代表選手が試合中に股間を気にして触ったら、それも切れと言い出すんじゃないか?」
マラドーナは90年代に超リベラルなカルロス・メネム(※アルゼンチンの元大統領)と親密な関係にあり、後には共産主義のフィデロ・カストロ(※キューバの政治家)と交友している。だが、04年に政治的な立場を聞かれたときに、有名でおかしな語録を残している。
「おれはブエノスアイレスの自由な街の出身だ。そう、電気からも電話からも自由な街のね(電気も電話もないという意味)」
08年、長年の念願だったアルゼンチン代表監督に就任した喜びを、このように語った。
「このチームはほこりを被ったロールスロイスだ。ちゃんとキレイにするだけでいいのさ」
だが、キレイにするのに少々時間がかかりすぎた。アルゼンチンはもう少しでW杯南米予選で敗退するところまで追い詰められた。最後には何とか出場権を得たのだが、そのときの記者会見のコメントは多くの方々がご存じだろう。
「(批判した連中は)おれの××をくわえて、なめ続けろ」
マラドーナはペレをライバル視してきた。選手時代にはペレよりも偉大な選手として歴史に名を刻もうとしていたし、いくつかの場面では成功した。しかし、ペレがジェントルマンであるのに対して、マラドーナはバッドガイであり、彼自身も悪童であることを好んだ。ペレに対するコメントがいつもトラッシュ・トーク(※スポーツの試合中に汚い言葉や挑発で相手選手の心理面を揺さぶる、また相手の気を逸らすような会話で混乱させ、調子を乱すこと)と化してしまうのも無理もない。「ペレは男色を始めたところだ」というのが、『エル・ディエス』紙に載った昨年のコメントである。
マラドーナの“口撃”は、これからますます“舌好調”になっていきそうだ。もし、イングランドへ移住するとなると、もはや予想のつかない事態になるだろう。英国で、マラドーナは“パブリック・エネミー・ナンバーワン”である。86年の“神の手”以来、社会の敵となったマラドーナを、タブロイド紙は手ぐすね引いて待っているに違いない。
<了>
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