岡田ジャパンが戦い方を変えた理由=選手の証言でひも解く日本代表総括 第1回
川口が岡田監督に伝えた“選手たちの叫び”
イングランド戦でゴールを決めた闘莉王(左から2人目)。追い詰められた状況の中、闘莉王の言葉は選手たちの意識を変えるきっかけとなった 【写真:Action Images/アフロ】
「前から行くか行かないか。そこが一番大きなポイントだった。いろんな意見が出て、僕は発言しなかったけど『前から行ってもねぇ……。オランダとやった時も前半はスカされて、後半に失点して負けたからね』などと考えていました。自分自身もみんなもチームとしても揺れていたんですよね。あれだけ結果が出ていなければ、ネガティブになるのも当然だから。それで結局、『うまくいかないんなら、真ん中でラインを止めた方がいい』って話になりました」と中村憲は白熱した話し合いの場を回想する。
1時間以上にわたった話し合いで集約された意見を、川口は岡田監督に伝えた。
「監督と話した具体的な内容は言えないですけど、話し合いのことは伝えました。このミーティングまでは確かにみんなバラバラだった。自分の意見を言った選手も言わなかった選手もいるけど、いろんな思いがあった。それを表に出す機会を持てたことは、本当にプラスになったんじゃないですかね」
横浜F・マリノス時代に象徴される通り、もともと守り倒すことを得意としている岡田監督だったが、2年7カ月も追い求めた戦術を変更するのは、清水の舞台から飛び降りるほどの勇気がいる。どうすべきか悩みに悩んだことだろう。「今までの形をやるには、何人かの中心選手が最高のパフォーマンスを出すことが前提だった。しかし彼らが調子を落としていたので、どこかで踏み切らなければいけなかった」と彼はパラグアイ戦の翌日、こう語っている。それを決断させたのが、“選手たちの叫び”だったのではないだろうか。
カメルーン戦直前まで選手たちには不安があった
「次の日から雰囲気もガラッと変わった。みんなそれまでも『頑張らなきゃいけない』と思っていたけど、どうやって頑張るべきかが明確になったのかもしれない」と闘莉王は言う。中村憲も「守備を固める戦い方への準備が始まった」と証言する。
イングランド戦では、それまで主力だった中村俊輔と楢崎が外れ、阿部勇樹と川島永嗣が入った。そしてゲームキャプテンも中澤佑二から長谷部に替わった。岡田監督はなりふり構わず突き進み始めたのだ。この一戦は1−2で逆転負けを喫したが、強豪相手に善戦し、手ごたえはつかめた。しかし6月4日のコートジボワール戦では手も足も出ず0−2で完敗。またしてもチームに不安と動揺が広がった。
積み上げてきた戦い方をすべて捨てる必要が本当にあるのか……。そんな疑問を持った選手もいただろう。最終予選を戦い、チームを支えてきたメンバーなら違和感を覚えて当然だ。岡崎慎司もこんな話をしている。
「自分にも玉砕覚悟で行きたい気持ちはありました。ベテランの選手にも言いたいことはあったと思います。だけど監督が変えたら、僕らはその道に走っていかないといけない。結局、僕はワントップをやっていて、コートジボワール戦を最後に先発を外されたけど、ずっと自分だけが悪いとは思っていなかった。チーム全体の調子が悪くて、パスが全然回ってこなくて。そこでワンチャンスでも強引にやって可能性を見せていれば、もしかすると本大会も出られていたかもしれないとは思うけど……」
ただ「自分たちがこの事態を招いた」と神妙に受け止める中村憲のような者もいる。
「僕だって最初の戦術でいきたかったけど、もうしょうがない。4連敗していたって事実があったし、すべて自分たちが招いたこと。日本が勝つためには何でも受け入れるしかなかった。そこまで追い込まれていたからこそ、やれたのはあります。戦術が変わったことに文句を言う人は誰もいませんでした」
結局、岡崎も外れることになり、カメルーン戦4日前のジンバブエとの練習試合では、本田圭佑がワントップに入った。右ワイドの松井大輔も練習ではほとんど試したことのない形で、メディアばかりでなく、多くの選手も驚いた。
「圭佑のFWにはびっくりしました。実質的にはゼロトップみたいな感じだったけど。でも、あいつはあいつなりに走っていたし、勝負強いところがあった。自分はサイドに回ったんだし、そこで走るしかないと思って切り替えました」と岡崎は話すものの、やはり複雑な心境だったに違いない。
FIFA(国際サッカー連盟)ランク110位のジンバブエと30分戦った主力組は結局、得点を奪えずに終わった。試合を見ていたオランダ人記者に「日本の得点力不足は深刻だね」と厳しい指摘を受けるほど、急造チームはあまり機能していなかった。本田は「手ごたえをつかめた」と明るく振る舞っていたが、「今日は参考にならない」と闘莉王は重苦しい表情で話すなど、選手たちには明らかに温度差があった。
大きな方向転換をしてから2週間。日本代表は不穏な空気をぬぐい切れないまま、運命のカメルーン戦にぶつかっていくしかなかった。
<第2回に続く(23日掲載予定)>