セルビアの“イナット”がゲルマン魂に勝った日=48年ぶりの勝利をもたらした原動力
サッカー選手なのか バレーボール選手なのか
セルビアのGKストイコビッチ(中央)がポドルスキのPKをセーブ 【ロイター】
それでも「結果良ければすべて良し」。セルビアはヨバノビッチのゴールを守り切り、ドイツに1−0で勝利。それは、48年ぶりの白星だった。GKのストイコビッチがポドルスキのPKを阻んだことで、一連の事件はセルビアが良質のドラマを作り上げるための最高のスパイスとなった。
試合後にビディッチは語った。
「ストイケ(ストイコビッチの愛称)がPKを見事に止めてくれたね。本当に素晴らしい活躍を見せてくれたと思う。だから、彼に言ったんだ。『何か欲しい物があれば、何でも買ってやるぞ』って。でも、今思えば、その言葉は僕に向けられるべきものだね。だって、そうだろ。僕のハンドがなければ、彼がこの試合のヒーローになることはなかったんだから」
完全なる勝者のコメントである。セルビア人は冗談好きで知られるが、さすがにここまで笑えない話を聞かされた記憶はわたしの人生にない。
試合は確かに幾つかのドラマが潜んでいた。ビディッチのハンド、ストイコビッチのPKセーブはもちろん、ドイツにとってはクローゼの退場が痛かった。レーブ監督の当初のゲームプランが完全に崩された格好となったからである。また、主審の判定がセルビア寄りだったという意見もある。さらに両チームのシュートがゴールポストやバーに嫌われる場面も多く見られた。ただ、1つだけ言えるのは、実にアトラクティブな試合であったこと。多くのサッカーファンにとって、興奮冷めやらない試合になったのは間違いなさそうだ。
歴史は繰り返されるのか
決勝点を決めたヨバノビッチ(右)を祝福するジギッチ 【(C) FIFA/FIFA via Getty Image】
だからこそ、「歴史は繰り返される」のである。今大会は初戦のガーナ戦での負け方が悪かっただけに、チーム内にはネガティブな雰囲気が漂い始めていた。W杯予選の結果のせいか、本大会前の前評判は高かったセルビアが、南アフリカの地で何も残さずに帰国する可能性が一気に高まっていたのだ。「おれたちは結局、何も変わりやしないんだ」とサポーターは感じ始めていた。思えばセルビア・モンテネグロ代表として臨んだ前回大会のオランダ戦でも0−1と敗戦。続くアルゼンチン戦では0−6で大敗を喫した。悪夢が再びよみがえる。
歴史的要因だけはない。果たして、クローゼ、ポドルスキ、エジルら、ドイツの強力な前線の選手をセルビア守備陣は抑えられるのか。確かにビディッチは世界でも屈指のセンターバックだ。しかし、初戦で退場処分を受けたルコビッチの代役を務めるのは、21歳と若いスボティッチだ。経験値が明らかに低いのは否めない。
セルビアの強さ“イナット”
喜ぶアンティッチ監督(中央手前)ら。セルビアがドイツに1−0で勝利した 【ロイター】
セルビア人のスポーツにおいてのメンタリティーは実に単純である。波に乗ったときの勢いは他を圧倒する力を持つ反面で、「ああ、もうダメだ」と感じたときは本当にダメになる。初戦のガーナ戦の結果を受けて、チームのメンタリティーは後者になる一歩手前だった。だが、その精神状態でうまい具合に開き直ることができれば、実力以上の特別な力が発揮される。それが“イナット”なのだ。それがセルビアの隠された強さである。何もないどん底から、プラス効果を生み出す一種の超常現象と言ってもいい。
13日のガーナ戦を経て18日のドイツ戦に至る過程で、アンティッチ監督は選手たちにどのような言葉を掛けたのだろうか。真実は選手のみぞ知るが、それでもドイツ戦前日に監督はメディアに対して次のように述べていた。
「すべての選手に求められることはただ1つ。強豪ドイツに勝つためには自身に潜在する特別なエネルギーを見つける必要がある」
思うに、“特別なエネルギー”とは“イナット”を生み出すための原動力ではないだろうか。そして、ドイツ戦では見事に“イナット”とともに大金星を挙げたのである。ゲルマン魂よりも何よりも強い気持ちが、48年ぶりの勝利をもたらしたのだ。
「セルビアが勝利したことを誇りに思う。そしてセルビア人であることを誇りに思う」(アンティッチ監督)
まさに、セルビア人によるセルビア人のための大勝利であった。
<了>
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