グリフィーが引退=イチロー「支えられていたものがなくなってしまう」

丹羽政善

イチロー「感情的になっていた」

グリフィーが引退を発表した日、イチローはサヨナラ安打を放った 【Getty Images】

 試合前、セカンドベースの後方に、「24」という数字が白い砂で描かれた。

 試合開始に合わせて選手がグラウンドに飛び出す時には、グリフィーの打席に入る時のテーマソングだったノーティ・バイ・ネイチャーの『Hip Hop Hooray』が流れた。

 そんな中、さすがに選手らは普段の自分ではいられなかったよう。ミルトン・ブラッドリーなどは、涙をぬぐっていた。

 イチローも、「あまりにも突然すぎて、整理もできないまま、混乱した状態でゲームをやってました」と言う。

 1試合3三振は、2007年9月23日のエンゼルス戦以来。混乱は、結果に表れていた。

 直接の関係は口にしていないが、「感情的になっていた」とは言っている。

「最近はダッグアウトにも姿を見つけられなかったですけど、僕の中では、後ろにジュニアがいる。守られてるっていう意識がすごく大きかった。支えられていたものがなくなってしまうこと――ジュニアのああいう誰も持ってない笑顔がなくなってしまうこと、そういうことを思うと……」

居眠り事件の影響は

 試合後のクラブハウス。サヨナラ勝ちを飾ったチームにしては、静かだった。

 部屋を入ってすぐ右手が、グリフィーのロッカーだったが、2つのロッカーには、ハンガーがかけられているだけ。ユニホームも、好んで練習の時に着ていたモンタナ大学のオレンジ色のTシャツも消えていた。

 地元メディアの中には、立ち止まって、その風景を目に焼き付けようとする人もいた。

 同じ視線を向けていた若いマイケル・ソーンダースは、こんな話をした。

「ケガがなかったら、すべての記録を塗り替えていたかもしれない。そんな選手と少しでも時間を共有できたことを自分の財産にしたい」

 本人は会見を開かなかった。

 5月半ば、居眠り事件が報じられた。本人は涙を流して、チームミーティングでそれを否定したという。

 関係はあるのか、ないのか。

 あの記事がなかったら、彼はどういう形で引退を選んでいたのか。

 ただ一つ、確実なこと。

 イチローの言うように、もう明日から、彼の笑顔は、シアトルにはない。

<了>

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著者プロフィール

1967年、愛知県生まれ。立教大学経済学部卒業。出版社に勤務の後、95年秋に渡米。インディアナ州立大学スポーツマーケティング学部卒業。シアトルに居を構え、MLB、NBAなど現地のスポーツを精力的に取材し、コラムや記事の配信を行う。

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