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森本貴幸、非凡なゴールへの嗅覚を持つ点取り屋

イタリアでの経験を切り札として生かす

日本人離れしたゴールへの突進力で貴重なオプションとなる森本。世界最高峰の舞台でも得点し、その評価を一気に高めたい
日本人離れしたゴールへの突進力で貴重なオプションとなる森本。世界最高峰の舞台でも得点し、その評価を一気に高めたい【Photo:Getty Images】

「ワールドカップ(W杯)は今までテレビで見ている存在だった。そこに自分が行けるのは光栄だし、サッカー選手として結果を出したい」


 5月10日の南アフリカ・W杯メンバー発表を受け、森本貴幸(カターニャ)はこんなコメントを寄せた。日ごろ、口ベタであまり感情を表に出さない彼も、悲願だったW杯には特別な意欲を抱いているようだ。


 日本代表の岡田武史監督も「彼の特徴はフィジカルの強さ、ゴール前の強さ。先発で出るか途中交代かは分からないが、途中から出てもゴールに向かっていける。ランニングするコースがゴールに真っ直ぐに向かっていくし、その量が多い。今のチームにとっては、そのインパクトが非常に大きい」と森本の点取り屋としての非凡な嗅覚を認めている。南アフリカではおそらく「点が欲しい時の切り札」として、いざという時に起用されるだろう。

Jリーグ最年少記録を次々に樹立した鮮烈デビュー

 森本の名が世に出たのは、東京ヴェルディのジュニアユースに所属していた2004年。オズワルド・アルディレス監督に際立ったゴールハンターの才能を注目され、いきなりトップチームに帯同。中学卒業直前の3月13日、開幕戦のジュビロ磐田戦に途中出場し、15歳10カ月6日での公式戦デビューを果たした。これはJリーグ最年少出場記録で、試合ではスピードと際立ったテクニックを強く印象付けた。また、2カ月後の5月5日のジェフユナイテッド市原(現千葉)戦では初ゴールをゲット。これもJリーグ最年少記録となり、今も輝き続けている。この年はJ1・22試合出場4ゴールという目ざましい結果を残し、Jリーグ最優秀新人賞を獲得。16歳での受賞記録もしばらくは更新されそうもない。


 05年も18試合に出場し、6月にはオランダでのFIFAワールドユース選手権(現U−20W杯)にも飛び級で抜てきされるなど、存在感を確実に高めていった。しかし、この年に東京VはJ2降格が決定。2006年からはJ2でのプレーを余儀なくされた。

 そんな森本のところにイタリア・セリエAのカターニャからオファーが届く。契約は1年間の期限付き移籍だったものの、18歳の若武者は迷うことなく挑戦を決意する。当初はプリマべーラ(ユース)の一員として練習することになったが、通訳をつけずに自然体で現地に溶け込もうとする姿勢は地元の人々にも好感を持たれた。06年末、筆者はカターニャを訪れたことがあるが、スタディオ・アンジェロ・マッシミーノのスタッフが「モリはいい選手で好青年だよ。近いうちにトップに上がると思うよ」と太鼓判を押すほど、短期間で現地に適応していた。


 この翌月の07年1月のアタランタ戦でセリエAデビューを果たし、いきなりゴール。衝撃的な新天地での第一歩を踏み出した。シーズン終盤は左ひざのけがで棒に振ったが、森本の実力を認めたカターニャ側は完全移籍をオファー。07−08シーズンはカターニャで14試合に出場。得点は1点にとどまったが、イタリアの水に確実に慣れていった。

 迎えた08−09シーズン。08年北京五輪での惨敗がバネになったのか、20歳の森本は大きな成長を遂げる。そのきっかけになったのが08年12月末のローマ戦。トッティ率いるビッグクラブ相手に2ゴールを奪う。これは1998−99シーズン開幕戦でユベントスに2発を浴びせた中田英寿を彷彿(ほうふつ)させるもので、イタリア全土に衝撃を与える。その後もユベントス、ローマとビッグクラブ相手に得点し、強心臓ぶりを印象づけた。このシーズンは23試合出場7得点と、名実ともにカターニャの中心選手へとのし上がった。

チームへのフィット次第で、大役を任される可能性も……

 そんな男を、日本代表の岡田監督が放っておくはずがない。南アフリカ・W杯、アジア最終予選直後の海外遠征となった09年9月のオランダ遠征で日本代表に招集された。この時は左太ももの違和感で残念ながら辞退することになってしまったが、10月には再招集され、スコットランド戦(日産スタジアム)で途中出場ながらデビューを果たした。続くトーゴ戦(宮城スタジアム)では初スタメン初ゴールを記録。だが、わずか前半45分のみでベンチに下げられた。これには「なぜ森本をフル出場させないのか」と、岡田監督への批判の声も高まったほどだ。


 指揮官にしてみれば、森本は招集回数が少なく、チームコンセプトである前線からの献身的な守備、攻守の切り替え、ハードワークといった部分を不安視していたのだろう。05年FIFAワールドユース選手権でU−20日本代表を率いた大熊清監督(現日本代表コーチ)、08年北京五輪を代表率いた反町康治監督(現湘南ベルマーレ監督)のいずれも同じ課題に頭を痛めた。森本のゴールセンス、屈強な外国人DFを背負ってもビクともしない強じんなフィジカル、ポストプレーの巧みさ、得点への鋭い嗅覚とポジショニングのよさなど、攻撃面では申し分のないストライカーなのだが、現代サッカーはそれだけでは不十分だ。イタリアのようにゴール前をウロウロしていて、一瞬の動きで得点するだけで評価される国とは違い、日本では特にボールのない時の動きや周囲との連動が重視される。そのマイナス面を考えると、どうしても「スーパーサブ」という位置づけにせざるを得なかったのだ。


 岡田監督も全く同じ役割を南アフリカで与えようとしているようである。それがハッキリしたのが今年3月、AFCアジアカップ予選のバーレーン戦(豊田スタジアム)である。後半22分、松井大輔(グルノーブル)に代わってピッチに入った森本はすぐさま中澤佑二(横浜F・マリノス)の縦パスに反応。鋭い動きでDFラインの裏に入り込んだ。これは残念ながらファウルを取られてしまったものの、彼の動きは間違いなく相手に脅威を与えた。普段、堅守の国・イタリアでプレーしている森本にしてみれば、W杯出場を逃したアジアの守りなど、それほどハードルは高くなかったのかもしれない。後半40分には縦の2トップを組んだ本田圭佑(CSKAモスクワ)からのスルーパスにすかさず反応するなど、抜け目のなさを如実に示していた。この試合では、後半ロスタイムに内田篤人(鹿島アントラーズ)からのスルーパスに絶妙のタイミングでニアサイドに飛び込んだ森本がおとりになり、本田の得点をお膳立て。森本の動き出しとゴールに向かう迫力がDFを引き付け、本田をフリーにしたことは特筆すべき点。本大会でもこのパターンは大いに期待できそうだ。


 今回も求められる役割はジョーカー。だが、状況によっては先発の可能性もなくはない。それは5月21日から始まった日本代表合宿で彼がどれだけチーム戦術に適応できるか次第だ。まだ森本は岡田ジャパンでたった3試合しか出場していない。このマイナス面をしのぐイタリアでの国際経験や点取り屋の真髄を発揮できれば、ピッチに立つ時間は長くなるはずだ。


<了>

森本貴幸

Takayuki MORIMOTO [カターニャ/イタリア] FW

1988年5月7日生 180cm/75kg

・前所属チーム:ヴェルディユース−東京ヴェルディ1969

・Jリーグ初出場:2004/03/13 2004Jリーグ ディビジョン1 1stステージ 第1節 東京V(vs磐田@ヤマハ)

・Jリーグ初得点:2004/05/05 2004Jリーグ ディビジョン1 1stステージ 第8節 東京V(vs市原@味スタ)


提供:ISM

元川悦子
元川悦子

1967年長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに。Jリーグ、日本代表、育成年代、海外まで幅広くフォロー。特に日本代表は非公開練習でもせっせと通って選手のコメントを取り、アウェー戦も全て現地取材している。ワールドカップは94年アメリカ大会から5回連続で現地へ赴いた。著書に「U−22フィリップトルシエとプラチナエイジの419日」(小学館刊)、「蹴音」(主婦の友社)、「黄金世代―99年ワールドユース準優勝と日本サッカーの10年」(スキージャーナル)、「『いじらない』育て方 親とコーチが語る遠藤保仁」(日本放送出版協会)、「僕らがサッカーボーイズだった頃』(カンゼン刊)、「全国制覇12回より大切な清商サッカー部の教え」(ぱる出版)、「日本初の韓国代表フィジカルコーチ 池田誠剛の生きざま 日本人として韓国代表で戦う理由 」(カンゼン)など。「勝利の街に響け凱歌―松本山雅という奇跡のクラブ 」を15年4月に汐文社から上梓した

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