ベガルタ仙台を“人生の伴侶”とした梁勇基=在日コリアンJリーガーの挑戦は続く
コテコテの大阪人から“生粋の仙台人”へ
J2で優勝し昇格を成し遂げた仙台。梁は中央でシャーレを手に喜ぶ 【Photo:日刊スポーツ/アフロ】
かく言うわたしも大阪府出身。しかも、梁と同じ大阪朝鮮高級学校サッカー部出身だ。だからこそ、共感できる部分がいくつもあった。彼は阪南大学を経て、テスト生から仙台行きを決めているが、当時、彼を取材した時にこんなことを言っていた。
「仙台のことって大阪におったら、まったく聞かないじゃないですか。イメージがなかなかできないというか……」
初めて宮城県の空港に降り立った日の夜、仙台市内まで車で向かった時も、高速道路が真っ暗で驚いたとも言っていた。同感だ。大阪の人間にとって、仙台という場所は想像したことのない未知なる街にしか映らないかもしれない。
お笑いのDVDを見ることや芸人の宮川大輔が好きと言い、インタビューに答える言葉が関西弁であることからも、梁がコテコテの大阪人であることがよく分かるのだが、今や完全に“仙台の梁勇基”に生まれ変わった。
まるでその土地で生まれて、その街で育った“生粋の仙台人”であるように、今季から昇格したJ1の舞台で、伸び伸びとプレーし、キラリと光る存在感を放っている。そんな活躍がうれしくもあり、少々複雑でもある自分がいるのだが、それは彼が生まれ故郷の大阪よりも、仙台に強い愛着を抱いているからだ。
「このチームでJ1に上がろう」
彼はかねてからJ1を常に意識していたし、「自分がどれだけやれるのかを試したい」とも言っていた。だからこそ何度もこう思った。
「ベガルタでJ1に昇格して、J1でプレーできれば最高なんですけど……。これからもほんまにJ2でええのかなって」
自分を育ててくれた仙台への感謝の気持ちもあったが、もっとレベルの高い場所でプレーしたいと思うのは、サッカー選手として当然の本能だろう。決心さえすれば、ほかのJ1クラブに移籍することもできたかもしれないが、彼を最も必要としていたのは、ほかでもない仙台だった。
梁だけではなく、鄭大世(チョン・テセ)や安英学(アン・ヨンハ)ら、在日コリアンJリーガーたちの心境に迫った 『祖国と母国とフットボール』(慎武宏著)で、梁は当時の心境をこう振り返っている。
「監督もフロントも選手も、そして仙台のサポーターたちも僕のことを必要としてくれていた。時間が経てば経つほど、その思いが心に強く染み込んできた。このチームでJ1に上がろう。もう一度、挑戦してみよう。そう決心したんです」
そうして迎えた09年シーズン。昇格を逃した悔しさを晴らすかのように、J1への道をひた走った仙台は、第48節の水戸ホーリーホック戦でJ1昇格を決めた。そして、残る3節も2勝1分けで切り抜け、J2初優勝も達成した。