“お守り”に見守られた銀メダル=スピードスケート女子団体追い抜き
一方、7、8位決定戦に回った日本男子は、平子裕基、土井槙悟(ともに開西病院)、出島茂幸(十六銀行)でスウェーデンと対戦し、3分49秒11で2秒93遅れてゴール。最下位の8位に終わった。
5人のメンバーで取ったメダル
それでも、このメダルはみんなの思いを乗せたメダルだった。レース後の取材で穂積が、いの一番に言ったのは「サブの高木さんと、ワールドカップ前半戦で五輪の出場枠獲得のために戦ってきた石沢(志穂、岸本医科学研究所)さんを含めた5人のメンバーで戦ってきたつもりです。メダルもこの5人で取ったものなんだと思います」という言葉だった。
穂積は高木の手袋を借り、全レースを滑った。「高木さんの分まで頑張ろう」と思っていた。また「田畑さんたちが日本のチームパシュートを築いてきてくれた。そして一緒にメダルを取ることができてて良かったです」と高校時代からの先輩に尊敬の気持ちを示した。
小平も田畑に対し、「練習でも試合でも妥協しない人。チームをまとめるのに、心の底ではドキドキしたり弱気になっちゃう気持ちもあったと思うけど、そういうところを全然私たちに見せずに包んでくれていた」という気持ちを抱きながら戦っていた。
ジュニア時代から共有した志
その中には、ある釧路の男子選手も含まれていた。
小平が言う。「一生懸命スケートに打ち込んで、毎日日記を付けるような、競技に対してまじめな子でした」
ところが彼は、交通事故によって夢半ばで他界してしまう。母親は息子の果たせなかった思いを託そうと、記念の物を作った。“永遠の友だち”という意味合いのの英語のメッセージを記した丸い形のガラスだった。小平も穂積も石沢も大会に持ち歩き、元気をもらっている。そして3人はバンクーバー五輪代表を射止めた。
小平は五輪代表選考会でもリンクサイドに置いていたと言う。「彼は一緒にオリンピックを目指していたので、しっかり夢を乗せて滑りたい」
この日、応援に駆けつけた石沢が「彼のことは静かに胸に秘めておきたいこと」と断りながら、当時を振り返ってくれた。
「あのときの仲間は本当に仲が良くて、お互いに悪口を言うなんてことはありませんでした。彼だけが特別ではなくて、合宿を終えるとみんなで一緒に手をつないでゴールしたり(笑)。今はスケートをやめた人も含めて、それぞれの道で頑張っていて、お互いに尊敬し合っています。形見は今も大事にして、力をもらっています」
「あそこら辺で彼が見守っているんじゃない?」
「いや、ここにいるよ」
小平はジャケットのポケットのふくらみをさすった。
結果は惜しい銀メダルだったけれど、2度も強敵に打ち勝ち、最後も立派に戦い抜いた。金メダルを取れなかった悔しさは、これからの4年間の励みに変えればいいのさ、と彼が言っているのかもしれない。
穂積は「3000メートルと5000メートルを滑って、個人種目では世界との差が埋まらなかったと思う。そういうことを痛感して、何をどうすればいいのか、表彰台を目指すつもりで、次はしっかり借りを返したいです」と厳しく顧み、小平は「次はもっと高い所でしっかり(天国の彼にメダルを)見せることができたらいいな」とほほえんだ。
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