ワールドカップで遠藤に何ができるのか=世界を待ち望む司令塔の覚悟

元川悦子

鹿児島実業の恩師が明かす遠藤の変化

攻撃陣の鍵を握る存在だけに、遠藤にはゴールへの貪欲さなど、さらなる飛躍が求められる 【Getty Images】

 劇的な変ぼうを遂げた彼が、大黒柱として挑むはずの世界大会が08年の北京五輪であった。当時の反町康治監督はオーバーエージの切り札に遠藤を指名。本人も8年前の悔しさを胸に闘志を燃やしていた。
 ところがW杯アジア3次予選の遠征から戻った直後にウイルス性感染症を発症してしまう。遠藤の母・ヤス子さんは「保仁の長女の幼稚園で手足口病がはやっていて、それに感染したようです。湿疹と発熱で大変でした。06年秋に肝炎にかかった時はもう二度とサッカーができないのかと思うくらい衰弱していたので、同じことが頭をよぎりましたが、大事に至らずホッとしましたね」と話すが、結局は五輪を棒に振ることになった。

 サッカーの神様は実に意地悪だ。これほどまで世界に縁のない選手がいるだろうか。しかし彼は幾多の挫折を乗り越え、ついに大舞台に立とうとしている。6月の南アフリカは遠藤のキャリアの集大成になるはずだ。
 悲願のW杯に向け、本人もあらゆる面でプロ意識を高めている。今年1月に地元・鹿児島で激励会が開かれた時のエピソードだが、鹿児島実業高校の松澤隆司総監督らとの食事の際、遠藤は黒豚しゃぶしゃぶの肉にほとんど手をつけず、野菜ばかり口にしたという。松澤総監督が「お前、肉も食べろ」と勧めると、「食事は魚中心なんで」と打ち明けた。「世界に当たり負けしないようにウエートトレーニングもやってます」とも話したという。
「高校生のころのヤットは常にマイペース。努力して1番になるより余力を残して3〜4番になった方が得だと考えるタイプでした。世界を本気で意識し、代表の中心として戦う責任と義務を感じているから、そこまで自分を追い込めるんじゃないかな」と恩師も変化に驚いていた。

 そこまで真剣にサッカーに打ち込んでいるのも、W杯で成功したいから。東アジア選手権3位という結果を見る限り、岡田監督の掲げる「ベスト4」は絵に描いた餅(もち)になりそうだが、遠藤は自分たちの積み重ねを信じて戦おうとしている。ベネズエラ戦と中国戦で2試合連続無得点に終わった時も「コンセプトは最低限守らないといけないけど、攻撃に関しては決められたことばかりやっていてもいい結果が出ない。前線の選手には『もっと自由にプレーしていこう』とちょこちょこ言っています」とリーダーシップを発揮して、少しでも沈滞したムードが良くなるように努めていた。

もっと勇気を持って局面の打開を

 そんな遠藤に岡田監督は特別な信頼を寄せる。攻めあぐねた香港戦では、後半途中から小笠原をベンチに下げ、稲本をアンカー役に配置。遠藤を攻撃的な位置まで上げ、攻撃のタクトを振るわせた。新たに招集した小笠原でも、以前から代表にいる中村憲剛でもなく、若い金崎夢生や香川真司でもない。中村俊輔がいないチームで攻撃をコントロールできるのは遠藤だけ……。岡田監督の強い思いがうかがえるさい配だった。結果的に流れの中からのゴールは奪えなかったが、セットプレーから2つの得点を演出。「遠藤を上げたことでやっとリズムが生まれた」と指揮官も相好を崩した。
 韓国戦にしても、PKを決め、後半にはスルーパスを出したり、ペナルティーエリア付近まで侵入しようとする積極性は垣間見えた。リスタートにしても、セットプレーにしても、遠藤が絡まければゴールには結びつかない。そんな現状がはっきりした。

 絶対的な存在だからこそ、彼にはもう一皮も二皮もむけてもらうしかない。韓国戦では球際の強さやシュートへの意欲といった部分で壁にぶつかった。特にゴールへの貪欲(どんよく)さはまだまだ足りない。オシムジャパン時代はゴール前まで走り込む回数が多かったのに、今はそこまで勝負していない。もっと勇気を持って局面を打開する意気込みが必要だ。意気消沈するチームを立て直していくためにも彼自身、さらなる飛躍が求められる。
「サポーターの批判やブーイングはしっかり受け止めないといけない。でも僕らが今までやってきたことは揺らがない。ただ、土台に少し飾りつけをしないといけないと思っている。韓国戦の3点目にしてもボール際さえ行っていれば何の問題もなかった。そういう部分を残り4カ月で少しでも修正しないと。悪い試合をしかたらといって逃げちゃダメ。今後に生かすしかない」と彼は自分に言い聞かせるように話した。

 岡田体制で南アフリカへ挑む限り、遠藤に託される仕事は多い。4カ月という短い時間でどこまで自分を高められるか。そこに日本の成否が懸かっているといっても過言ではないだろう。

<了>

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著者プロフィール

1967年長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに。Jリーグ、日本代表、育成年代、海外まで幅広くフォロー。特に日本代表は非公開練習でもせっせと通って選手のコメントを取り、アウェー戦も全て現地取材している。ワールドカップは94年アメリカ大会から5回連続で現地へ赴いた。著書に「U−22フィリップトルシエとプラチナエイジの419日」(小学館刊)、「蹴音」(主婦の友社)、「黄金世代―99年ワールドユース準優勝と日本サッカーの10年」(スキージャーナル)、「『いじらない』育て方 親とコーチが語る遠藤保仁」(日本放送出版協会)、「僕らがサッカーボーイズだった頃』(カンゼン刊)、「全国制覇12回より大切な清商サッカー部の教え」(ぱる出版)、「日本初の韓国代表フィジカルコーチ 池田誠剛の生きざま 日本人として韓国代表で戦う理由 」(カンゼン)など。「勝利の街に響け凱歌―松本山雅という奇跡のクラブ 」を15年4月に汐文社から上梓した

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