後悔と納得のはざまに見えた上村愛子の12年=女子モーグル
メダル届かず涙も、晴れやかな表情
うまくいかなかった点は……。第1エアのヘリコプター(横1回転)で、よくやってしまう斜め方向へのずれはなかったが、第2エアのバックフリップ(後方宙返り)では「気持ちよく飛べたけど、着地の少しのミスが4位なのかな」。ターンは、リードする方の左ターンのカービングが強調され過ぎ、左右のバランスをやや欠いた。そういうターンが、第1エアと第2エアの間のミドルセクションで3、4回あった。上村だからこそ起きたもったいないミスだった。
だが、泣き顔にもかかわらず、不思議と表情は晴れやかだ。4位が決まった瞬間はと問われ、「自分の滑りが届かなかったんだなと素直に受け止めています」ときっぱりと言った。
「長野オリンピック以来、気持ちよく滑れました。予選でちょっと抑え気味になってしまって、決勝もそれだとすごく悔いが残るから、それだけはしないようにアタックしようと思っていました。いい滑りをしたぞっていう気持ちはすごく心に残っているので、お母さんにも多分その顔は見せられたんじゃないかな」
その言葉通り、ミスはあっても、速いリズムを緩めることはなく、攻撃的な滑りをしようという意欲があふれていた。スキー板に圧をかけてたわませ、エッジを縦方向に切れ込ませるカービングは容易ではない。上村はそれをやめようとは少しも思わなかった。
1つの指標となるタイムは28秒88だった。優勝したハナ・カーニー(米国)らには約1秒及ばなかったが、5位以下には逆に1秒差をつけていた。滑りにブレがあったことを考えると、堂々のタイムだった。そのブレは、ターン点がカーニーより1.3点低い12.9点だったことに表れていた。
2006年トリノ五輪のときには、ほぼ唯一の3D技の使い手として、エアがクローズアップされた上村。ターンはトリノ以降に磨いたととられがちだが、実は、元々がターンでこそ勝負するタイプだったのかもしれない。
上村が中学2年でモーグルを始めたときから、現役選手、コーチとして近くで見てきた、切久保達也代表コーチが証言する。
「彼女は、元々アルペンスキーをやっていたからスキーはうまい。しかも、アルペンからモーグルに切り替える能力に優れていた。アルペンでは、板を押し続けることでカービングさせる。しかし、コブ斜面を滑るモーグルでは、ターンの後半で逆の吸収動作に切り替えなければならない。そこがモーグル特有の難しさで、アルペン出身者が必ずしもモーグルがうまい訳ではないが、愛子はすんなりと対応できていた。そこに才能があり、僕は『愛子イコール、ターン』だとずっとずっと思っていた」
世界に見せた上村愛子の滑り
それぞれの大会で、それぞれの糧を得た。そして、ひとつひとつのピースを合わせるように、上村愛子の滑りを完成させていく過程が、トリノ五輪からの4年間だった。
トリノで勝てなかった事実を経て、上村は、何をなすべきかをはっきりと理解する。それは自分らしさの源であるはずのターンを磨くことだと。それを気付かせてくれたのは、新しく全日本チームに招へいされたフィンランド人のヤンネ・ラハテラコーチ。ソルトレークシティー五輪の金メダリストで、関係者が「今、W杯に出場してもすべての大会で表彰台に上る」と冗談めかすほどの人物が求めたのは、コブのない斜面でひたすらターンを繰り返す地味な練習だった。質の高いカービングを作り上げるために必要で、上村は忠実にそれに従った。練習嫌いで「気分良くスキーができればいい」と考えていた選手とは別の顔が芽生えていた。
その結果、世界一と呼ばれるターン技術の習得に至る。昨シーズンに福島県猪苗代町で行われた世界選手権でシングルとデュアルの2冠を獲得し、圧巻の滑りを見せた。シングルでのタイムは2位に2秒差。カービングが冴え渡った。
切久保コーチが言う。「この数年で良くなったのは、ターンそのものに加えてストックワークで、手首を使ったコンパクトな動きができるようになった。これはモーグルにとって必要な前傾姿勢を作るために欠かせない点だが、この動きは通常は人体の構造上不自然で、ウエートトレーニングなどでは身に付かず、雪の上でひたすら滑って初めて獲得できるもの。上村はそれをやったんだろう」
長野から12年。4大会を終えて、上村の見せた表情が実にさっぱりとしていたのは、長野のときともソルトレークのときともトリノのときとも違う、これが自分の滑り、と胸を張れるものを世界の人々に見せることができたからではないだろうか。
<了>
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