東洋大初V、“新山の神”柏原の誕生=箱根駅伝、昨季印象に残ったシーン・ベスト3

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東洋大ルーキーの柏原竜二。5区山上りで区間新を達成し、“新山の神”の誕生と称えられた 【Photo:北村大樹/アフロスポーツ】

 東洋大の初優勝、駒大のシード落ち――2009年1月2、3日に行われた第85回東京箱根間往復大学駅伝競走(以下、箱根駅伝)は、「箱根新時代」の到来を予感させる結果で幕を閉じた。本命なき戦いとも言われた混戦のレースを、印象的なシーンとともに改めて振り返ってみたい。

<昨季印象に残ったシーン・ベスト3>
1位:東洋大が初優勝、“新山の神”柏原の誕生
2位:日大・ダニエルが20人抜きの新記録
3位:涙のリタイア、城西大の途切れたたすき

東洋大初優勝の裏にあったストーリー

 創部77年目、出場67回目にしてつかんだ「東洋大初優勝」のストーリーは、まさにドラマチックな展開の連続だった。

 始まりは、レース1カ月前にさかのぼる。08年12月1日に、当時2年生の長距離部員が強制わいせつの現行犯で逮捕。この責任を取って、当時の部長と駅伝監督が辞任する騒ぎが起こった。出場権のはく奪こそ免れたが、チームは5日間の活動自粛など、厳しい処分を下された。10月出雲駅伝(5位)、11月全日本駅伝(4位)で好成績を残し、箱根に向けて機運が高まっていた中での不祥事だけに、選手たちのショックは大きかったに違いない。

 しかし結論から言えば、東洋大は本番のレースで見事な団結力を見せた。その裏には「ここまで育ててくれた監督のために」という選手たちの決意があった。
 こうした思いをもっとも体現して見せたのが、5区に登場した柏原竜二(当時1年)だろう。9位でたすきを受け取った柏原は、急斜面が続く山上り区間で驚異的な追い上げを見せ、8人抜きを達成。東洋大に初の往路優勝をもたらすとともに、自身も区間新を記録し、“新山の神”誕生と喝采(かっさい)を浴びた。
 この柏原の活躍で勢いに乗った東洋大は、翌日の復路で早大とのデットヒートを制し、初の栄冠を手にすることになった。

日大・ダニエルが20人抜きの新記録

 エース区間と呼ばれる2区で、歴代最多の20人抜きを演じたのが、日大のギタウ・ダニエル(当時3年)だ。チームは1区で出遅れたため、22位でスタートしたダニエルだったが、ストライドの大きな走りでライバルたちを次々と追い抜き、最終的に2位でたすきをつないだ。

 こうした“ごぼう抜き”には大前提として、自分より前方に多くのランナーがいなければならない。さらに、各ランナーの距離差が少ないレース序盤でなければ達成は難しいだろう。記念大会として行われた第85回大会では、過去最多の23校が出場したため、ごぼう抜きには好条件がそろっていたわけだ。
 少なくとも今大会では、20校しか出場できないため、この記録を塗り替えることは不可能だ。ダニエルの記録は「不滅の大記録」として、今後も語り継がれていくだろう。

涙のリタイア、城西大の途切れたたすき

 6年連続出場となった城西大は復路中盤の8区(21.5キロ)で、今大会が初出場となる石田亮(当時2年)を起用。しかし、石田は体調不良による両足のけいれんを引き起こし、終盤に転倒を繰り返した。これを見かねた平塚潤監督はやむなく、ゴール間近の19.8キロ地点でストップを掛けた。
「すいません、すいません……」
 チームメートに両脇を支えられた石田は、涙で声を詰まらせながら謝罪を繰り返した。それは箱根駅伝で毎年繰り返される喜怒哀楽のうちの、「哀」を象徴するワンシーンだった。

 ランナーがつなぐわずか数十グラムの「たすき」には、すべての選手たちの思い、周囲の期待、学校の歴史といった目に見えない重みがのしかかる。ランナーたちは、こうした計り知れないプレッシャーに立ち向かわなければならない。むろん、だからこそ選手たちの懸命な姿は、見る者の胸を打つのだろう。

 城西大は今回の予選会で6位となり、再び本選切符を獲得した。石田もリタイアの悔しさを力に変え、チーム4番目となる全体31位でゴール。誰よりもたすきの重さを知るランナーは、「次こそたすきを渡す」と本選でのリベンジを誓う。

 <了>
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