「一人時間差攻撃」生みの親は日本人!=森田、大竹ら全日本男子の名センターを紹介
全日本男子の黄金期を支えた一人である森田淳悟。ブロックをかわす技術である「一人時間差」の生みの親でもある 【Photo:山田真市/アフロ】
「1人時間差」の森田 スター選手・川合
現在タレントとして活躍する川合俊一。日体大在学時に全日本に選ばれ、84年ロサンゼルス五輪に出場。その後、85年、89年のワールドカップ、86年世界選手権、88年ソウル五輪でも代表を務めるなど、80年代の全日本の中心メンバーとして活躍した。また、個人での写真集が発売されるなど、ファンからの人気も高いスター選手だった。現在はタレント活動のほか、日本ビーチバレー連盟の会長を務め、競技の人気拡大・普及振興に力を注いでいる。
5季連続のベスト6・植田 歴代最長身の大竹
バレーボール選手は背が高いのが当然と言えば当然だが、なかでも文字通り“目立つ”存在だったのが大竹秀之だ。身長208センチ(210センチ以上という説も)は、歴代の日本人バレーボール選手として最長身とも言われ、長身選手がそろうセンタープレーヤーのなかでも群を抜いていた。89年に代表入りを果たすと、92年バルセロナ五輪のほか、世界選手権3回、ワールドカップ4回に出場し、90年代の全日本を支えた。01年に現役を引退し、昨年の北京五輪では男子代表のコーチを務めた。
親子鷹・南克幸 身長205センチ“ノブコフ205”
金メダルを獲得した父・将之と親子鷹として全日本で活躍した南克幸。現役にこだわり続けた南は07年までVプレミアリーグで現役を続けた 【写真は共同】
全日本男子にとって16年ぶりの五輪出場となった北京五輪の代表センターが、齋藤信治。身長205センチの大型選手で、テレビ局からは“ノブコフ205”の愛称で呼ばれた。95年に代表入りすると、その後、監督が変わろうとも全日本に引き続き招集されるなど、代表にとって常に必要とされてきたプレーヤーだ。北京五輪最終予選の前に引退を表明していたが、植田監督が熱望し五輪最終予選メンバーに選ばれる。齋藤は全試合に出場するなど力を尽くし、全日本は五輪出場権を獲得した。その後、夏の五輪本大会まで現役を続け、全日本男子の使命を果たした。
<了>
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