女子バレー、時代を彩った美女プレーヤーたち 1980年代〜2000年代をプレーバック

スポーツナビ

「かおる姫」の愛称を持つ、元代表リベロの菅山かおる。華やかなルックスでも話題を呼んだ美女プレーヤーたちを紹介! 【Photo:Atsushi Tomura/アフロスポーツ】

 テレビ番組や週刊誌などでこぞって特集が組まれるなど、最近はスポーツ界の「美女アスリート」への注目度が非常に高い。彼女たちは多くのメディアに登場し、アイドル顔負けの活躍を見せている。その代表格なのが、女子バレーボールの選手たちだろう。栗原恵、木村沙織、狩野舞子ら、現在の全日本のメンバーを見ても、コート上でのプレーはもちろんのこと、華やかなビジュアルで話題を振りまいている。

 1970年代後半に国際大会のテレビ中継が始まり、一般的にバレーボール人気が広まった80年代から、女子バレー界は数多くのアイドル選手を輩出してきた。改めて、それぞれの時代を彩った女子バレーの美女選手たちを、年代別にさかのぼって紹介したい。

日本中を席巻した「かおる姫フィーバー」−2000年代−

 近年の女子バレー界において、そのビジュアルでもっともファンを魅了した選手は、菅山かおるだろう。テレビ局が彼女に付けた愛称は「かおる姫」。身長169センチと小柄ながら、05年ワールドグランプリではアタッカーとして攻守にわたり活躍し、アテネ五輪直後の新生柳本ジャパンに新風を巻き込んだ。
 その後は、所属するJTで定位置だったリベロで活躍した菅山だが、佐野優子の台頭もあり、代表からは落選。悲願だった北京五輪への出場もかなわなかった。09年2月にはビーチバレーへの転向を発表。現在は浅尾美和らとともに、ビーチ界を盛り上げている。

 菅山の一世代前、96年アトランタ以来2大会ぶりの五輪出場を決めた第1次柳本ジャパンを支えた大友愛(現在の姓は山本)も、人気を博した一人だ。01年に全日本に初選出され、同年のワールドグランプリで代表デビュー。一時はチームに溶け込めず、自ら代表入りを辞退するなど世間を騒がせたが、04年のアテネ五輪世界最終予選前に代表へ復帰。日本を2大会ぶりの五輪出場へと導き、本大会でも中心選手として活躍した。
 コート外では、05年に現役選手として初めて写真集とDVDを出版するなど人気は抜群だったが、絶頂期の06年に妊娠、そして結婚。しかし、昨年には電撃的現役復帰を果たすなど、奔放なキャラクターはいまなお健在だ。

宝塚のトップスターを地で行くような山内−1990年代−

182センチの長身美人プレーヤー、山内 【Photo:Atsushi Tomura/アフロスポーツ】

 182センチの長身で短髪、そしてクールな笑顔と抜群のスタイルは、まるで宝塚のトップスターを地で行くような存在だった山内美加。当時の選手としては日本人離れした高さとパワーを武器に、全日本のエースとして92年バルセロナ、96年アトランタと2度の五輪に出場を果たした。
 所属していたダイエーでは、95年第1回Vリーグ(現・プレミアリーグ)初優勝に貢献。その才能は当時のダイエー監督、名将アリー・セリンジャーにも高く評価され、Vリーグでは初のプロ契約選手にもなった。

 山内と同時代に活躍したのが佐伯美香。172センチと小柄ながら、スピードを生かしたプレーで、95年ワールドカップ、96年アトランタ五輪では代表の中心選手としてプレーした。
 しかし、絶頂期と思われた翌年、所属するユニチカを退社し、ビーチバレーに電撃転向。00年のシドニー五輪では、高橋有紀子とのペアで出場し、4位入賞を果たした。その後は結婚・出産を経て、ママさんプレーヤーとして08年の北京五輪にも出場している。

斎藤派か? それとも益子派か?−1980年代−

15歳で実業団入りした「早熟の天才」、斎藤真由美。往年のファンからの人気は未だ健在だ 【Photo:Atsushi Tomura/アフロスポーツ】

「斎藤派か? それとも益子派か?」――1980年代後半、ある2人の美女選手をめぐって、バレーファンの間ではこのようなやり取りが繰り広げられた。

 主役の一人である、斎藤真由美。「早熟の天才」とも言うべきこの選手のバレー人生は、まさに栄光と挫折の歴史でもある。1986年に高校を中退し、わずか15歳でイトーヨーカドーに入社。翌年には早くも日本リーグでデビューを果たす。88年には、16歳でソウル五輪の第1次候補選手に選出されると(本大会には出場せず)、翌年のワールドカップで華々しく全日本デビュー。また、同年の日本リーグではイトーヨーカドーの初優勝に貢献し、最高殊勲選手に選ばれた。
 しかし、順風満帆と思われた齋藤だが、その後は度重なるけが、交通事故、所属チームの解散など、相次ぐ不運に見舞われた。そのため、晩年は「悲運のエース」の印象が強かったが、デビュー当時のボーイッシュな短髪とキュートな笑顔は、いまなおバレーファンの語り草となっている。

 斎藤と常に比較されたのが、益子直美。共栄学園高時代に春高バレーで活躍した益子は高校3年生で全日本入り。「下町のマコちゃん」の愛称で親しまれ、1980年代後半から1990年代前半の女子バレーボール人気をけん引した。
 イトーヨーカドーに所属した89年には、斎藤とともに日本リーグ初優勝に貢献。全日本でも世界選手権、ワールドカップで活躍したが、五輪にはついに出場を果たせなかった。92年に現役引退後は、タレントに転身。芸能活動のかたわら、バレー中継の解説などで活躍を続けている。

<了>
  • 前へ
  • 1
  • 次へ

1/1ページ

著者プロフィール

スポーツナビ編集部による執筆・編集・構成の記事。コラムやインタビューなどの深い読み物や、“今知りたい”スポーツの最新情報をお届けします。

新着記事

編集部ピックアップ

コラムランキング

おすすめ記事(Doスポーツ)

記事一覧

新着公式情報

公式情報一覧

日本オリンピック委員会公式サイト

JOC公式アカウント