大宮に舞い降りた大天使=大宮アルディージャ ラファエルインタビュー

土地将靖

加入直後から大宮の攻撃の軸として活躍を見せているラファエル 【写真提供:大宮アルディージャ】

 昨年のJリーグ王者で、張外龍監督も「事実上のアジアナンバーワンクラブ」と評価する鹿島アントラーズ。大宮アルディージャは8月29日に行われた第24節、J1リーグ戦で唯一、勝利したことのなかったこの強豪を3−1で下し、初の白星をもぎ取った。この試合で2得点に絡む大仕事をやってのけたのが、チーム加入からわずか1カ月足らずの新戦力、ラファエル・マルケス・マリアーノだった。テレビ中継のピッチサイドリポーターの耳には、鹿島ベンチから「あいつ、すげえ」と驚嘆の声も届いていたという。ピッチを華麗に舞う“天使”の素顔を、ここに解き明かす。

 第20節(8月1日)の新潟戦をスコアレスドローで終えると、リーグ戦は束の間の中断に入った。中1週間という短い期間ではあったが、チームはコンセプト確認のために静岡県御殿場市でミニキャンプを張った。
 キャンプ初日、練習場を訪れると見慣れないブラジル人がいる。7月に途中加入したばかりのドゥドゥと親しげに談笑しているその若者は、アルディージャの練習着に身を包み、チームとともにランニングを開始した。フィジカルコンディションがまだ上がっていないのか、グループ戦術のトレーニングには参加しなかったが、2対2や3対3の対人トレーニングでは、その長身に似つかわしくない柔らかなボールタッチとしなやかな動きで、相対する選手をすいすいとかわしていった。

 掘り出し物――周囲の推測は、直後の慶應大、拓殖大との練習試合で確信に変わっていた。大学生相手ではあるが、慶大戦では個人技で1得点。拓大戦では50分間ほどで2得点2アシストを決めた。190センチという高さを生かしたポストプレーはもちろん、巧みな足技、パスセンスも光る。オールラウンドなプレースタイルで、あっという間に大宮の攻撃の軸となっていった。

ポストプレーヤーからオールラウンダーへ

――チームでサッカーを始めたのはいつですか?

 8〜9歳ぐらいのころ、地元クラブの下部組織に入りました。同時にフットサルもやっていて、15歳ぐらいまでは平行してやっていました。初めてプロ契約を結んだのはカンピーナスFCというクラブで、その後ポンチ・プレッタに移りました。

――身長はいつごろから高くなりましたか?

 12歳ぐらいのころから、周りと比べて少しずつ大きくなってきたと思います。キャリアをスタートしたばかりのころ、ブラジルではやはり背が高いこともあって、ハイボールを多用するサッカーの中にいたような気がしますね。

――現在のようにオールラウンドなスタイルになったのはいつから?

 グラウンダーのボールでワンツーを仕掛けたり、パスワークやドリブルで崩しにいったりと、元々僕自身はそういうプレーが好きでした。ブラジルを出て経験を積んでいくことで、そうした特長を前面に出していくことができるようになりました。今ではストライカーとしてだけではなく、攻撃的MFでもプレーできると思います。

転機となった初めての異国

 初めての海外となったトルコでの3シーズンは、ラファエルのサッカー人生にとって大きなものとなった。途中で左第5中足骨骨折というけがに見舞われながらも結果を残したことで、フェネルバフチェを当時率いていたジーコから非公式に移籍を打診された。そして、トルコ国籍を取得する。

――トルコ国籍を持っていると聞きました

 身分証明書をもらいました。パスポートの発給を待っているところです。

――取得しようとしたきっかけは?

 トルコで最後に在籍したチーム(マニサスポル)の監督やコーチ陣がそういうことに興味を持ってくれました。自分にとってもいい話ではないかと思ったので。

――実際にトルコ代表への興味は?

 代表チームでプレーするのは素晴らしいことです。ブラジル代表でプレーすることは、現実的に考えてなかなか厳しいものがあります。トルコ代表でプレーすることにも興味はありますし、魅力的な話だと思います。

――トルコ代表スタッフからの打診は?

 直接代表スタッフとのコンタクトはありませんでしたが、マスコミを通じて、代表監督が自分をかなり評価してくれていることは聞いていました。今はトルコ国外に出ていますから、代表に選ばれることは難しいと思いますけどね。

――それだけ評価されていたトルコを離れ、日本に移籍してきた理由は?

 第一にプロである以上、自分と家族の生活を一番に考える必要があります。日本でプレーすることは自分にとって夢でした。特に、日本人の仕事に対する姿勢は世界中から評価されています。有言実行――言ったことは守る、そういった日本人のマナー、礼儀正しさに敬意を払っていたので、仕事をする上で間違いのない国だろうと思っていました。トルコでしてきた以上の活躍をして、トルコで過ごしてきた以上の多くの時間を日本で過ごせるよう、頑張りたいと思っています。

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著者プロフィール

1967年1月28日、埼玉県生まれ。93年、現在のWEB版「J's GOAL」の前身である試合速報テレホンサービス「J's GOAL」にて、試合リポーター兼ライターとして業界入り。2001年よりフリーランスとなりライターとして本格活動を開始、大宮アルディージャに密着し週刊サッカーマガジン(ベースボール・マガジン社)ほか専門誌等に寄稿している。

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