生まれ変わった花巻東がつかんだ大きな1勝=タジケンの甲子園リポート2009 Vol.3
菊池雄がいないと“変身”できなかった野手陣
3点をリードされても、3本のアーチを架けられても動じない。
試合後は、打たれた花巻東高・菊池雄星も、四番の猿川拓朗も同じ言葉を口にした。
「想定内です」
それは決して、強がりではなかった。
1、2年時の菊池雄は、先発をほかの投手に任せ、中盤以降にマウンドに上がることが多かった。たとえリードを許していても、菊池雄がゼロに抑え、リズムをつくって打線が逆転する。それが花巻東高の勝ちパターンになり、選手たちは7、8、9回の攻撃に絶対の自信を持つようになった。岩手県内では「逆転の花東」と呼ばれているほどだ。センバツ準々決勝の南陽工高戦でも、猿川が先発し、菊池雄が救援。2点差を逆転して勝っている。
一方で、それがマイナスに作用することもあった。秋の東北大会、センバツでの戦いぶりを見た仙台育英高の佐々木順一朗監督が「菊池君がマウンドに上がるとみんな別人になる」と言っていたが、菊池雄の登板とともに“変身”する野手陣は、裏を返せば、菊池雄が登板しないとなかなか爆発しないということ。絶対的な信頼を置けるエースがマウンドにいるのといないのとでは、打席での気持ちが違った。
それが顕著に表れたのが春の東北大会。菊池雄が登板しなかった花巻東高は、同じくエースが登板しなかった青森県3位の八戸西高に2対7であっさり敗れた。主将の川村悠真が失策するなどミスで点を奪われ、打撃陣も後半はフライを上げるばかり。「逆転の花東」の片りんすら見せられなかった。
「菊池雄星あっての花巻東。菊池雄星がいなければ花巻東は勝てない」
周囲からも、当たり前のようにそう言われた。
全員が涙を流して誓ったワンマンチームからの脱皮
「花巻東は菊池雄星のワンマンチームだ」
大湊高(青森)との練習試合ではこんなこともあった。東北大会同様、菊池雄が登板せず抑え込まれる展開に、佐々木監督は「どうせお前たちは雄星がいないと勝てないんだろ」と突き放した。東北大会以降、毎日同じことを言われ続けていながら結果が出せない選手たちは、試合中にもかかわらず感情をこらえられない。泣きながら打席に入った横倉怜武は「悔しさと(自分への)怒りの気持ちが込み上げてきました」。ベンチの選手も、全員が涙を流した。「雄星がいないとこうなってしまう自分たちが情けなかった」(斉藤奨)
その試合以降、選手だけでミーティングを重ねた。菊池雄が登板しないからといって打てないのは、精神的な理由以外の何ものでもない。もう一度、何が足りないのかを確認し合った。結論は「基本的なことを忘れているからじゃないかと。あいさつ、ゴミ拾いから始めました」(堀井亜久里記録員)。それ以後の練習試合ではベンチで「雄星はいない」というのが口グセになるほど、菊池雄なしの想定をくり返した。夏の岩手県大会直前には「雄星だけのチームと言われたくない。自分が打たなきゃダメだと思いました」という猿川が打撃フォームを修正。最後までやれることをやり尽して打力アップに励んだ(※下記コラム「常に上へ〜花巻東の強さ〜」参照)。涙の大湊高戦から、花巻東高ナインはたくましく変わった。
リードを許しても落ち着いていた野手陣
1対3と追い上げた6回2死三塁で打席に入った横倉も、逆らわず右中間へライナーの二塁打。「守っている側の気持ちになれば、エラーしたら1点なので、ゴロは来てほしくないはず。強いゴロを打とうと上から叩いた結果です」。相手の心理を考え、自分のやるべきことは何かを確認する余裕があった。
大会前から菊池雄に取材が殺到。何があっても菊池雄しか注目されない状況が続いている。岩手県大会決勝後には、決勝打を放ったにもかかわらずほとんど取材もされない柏葉康貴が「もう、お手上げです」と苦笑いしていた。長崎日大高戦後も、お立ち台に上がったのは菊池雄だった。
だが、そんなことは関係ない。メディアに報道されるのは菊池雄ばかりでも、「花巻東は菊池雄星だけのチームではない」ことを証明できたのだから。
「ずば抜けた選手はいないですけど、野手もいい選手がそろっていると思っています。野手もしっかり指導しているつもりなので、野手で勝った今日の勝ちは本当にうれしい」(佐々木監督)
横浜高の松坂大輔(現・レッドソックス)はPL学園高戦で、駒大苫小牧高の田中将大(現・東北楽天)は2年時は鳴門工高戦、3年時は青森山田高戦で、自らの不調を打線に救われた。夏は投手だけでは勝てない。菊池雄でも、打たれることはある。それを想定していたからこその勝利。
「『野手の力で勝つ』と言ってやってきたことが甲子園でできた。これで乗っていけそうです」(横倉)
花巻東高にとって、大きな、大きな1勝だった。
<了>
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