イタリア、南アフリカの観客もまだ肩慣らし コンフェデレーションズカップ2009

中田徹

肩の力が抜けている南アフリカの人々

この日2得点と爆発したイタリア代表のロッシ(中央) 【FIFA via Getty Images】

 6月14日、コンフェデレーションズカップ(コンフェデ杯)の開幕戦。南アフリカ対イラクのキックオフ直前、地元の観客がいっせいに歌を歌い始めた。後半途中にもバックスタンドの一角が同じ歌を歌いだすと、その歌は一斉にエリス・パーク・スタジアムへ広がった。その音色と哀調に、ふと北島三郎の『激唱〜青函トンネル〜』を思い出した。昔、鉱山系建設機械メーカーに勤めていたころ、上司がスナックでよく歌っていた曲である。
「友の形見のヘルメット。ここ。ここがいいんだよ。お前、聞いてんのか。サブちゃん、いいよな〜」とよく聞かされた。仕事がら、トンネル、鉱山、ダム、砕石現場へ行くことが多いだけに、上司もこの歌に思うところが多かったのだろう。

 翌15日、プレトリアでイタリア対米国を観戦した。大体8割ぐらいの入りだろうか、ロフタス・バースフェルド・スタジアムはよく人が入っている。南アフリカサポーターで埋まった開幕戦と違って、この試合はニュートラルな観客も多く、実にリラックスした心地よい雰囲気でいっぱいだった。
 面白いなと思ったのは、試合が始まっても次から次へ観客が入ってくること。バックスタンド側コーナーフラッグの辺りの入口から、ゴール裏を歩いてどんどん人がメーンスタンドへ歩いてきた。そんな流れがキックオフから30分ほど続いただろうか。
 南アフリカに着いて4日目だが、コンフェデ杯に対する関心は思ったより大きい。来年、自分たちの国でワールドカップを開催するという誇りと不安、異国から来た人間に対する興味。それをひしひしと感じるのだが、その一方で肩の力が抜けているというのも実感だ。

 プレトリアの試合では、メーンスタンドとバックスタンドの“アッパー”と呼ばれる2階席は試合前から埋まっていたが、“グラウンド”と呼ばれる1階席とゴール裏の席は、試合が始まってから長いこと人の流れが途切れることなく徐々に埋まっていった。
「さあ、仕事が終わったから、ちょっとロフタス・バースフェルドへでも行ってみようか」。そんなぬるいノリもまた、庶民のスポーツであるサッカーが持つ魅力のひとつ。ピッチの上の選手と一体になって、サポーターも緊張感を持って戦うことだけが、サッカーの楽しみ方ではない。そう思うからこそ、この日の“グラウンド”席の客の緩さは、個人的にツボにハマった。

『ショショローザ』の魂

 試合は、途中出場のジュゼッペ・ロッシが爆発し、前半眠っていたチームメートをたたき起こした。58分、ロッシが弾丸ミドルを決めてイタリアが1−1の同点に追いつくと、72分にはデ・ロッシもミドル弾を決めて逆転。ベンチへ退いていたガットゥーゾも背番号8のユニホームを着たままピッチへ入って狂喜乱舞すると、ビブスをつけていた控え選手もそれに続く大騒ぎだった。
 残り10分になって米国もやや反撃した。1点差だから米国にも追いつくチャンスはある。しかし観客はもう満足なのだろう。87分ぐらいからゴール裏を行進するかのように歩きながら帰り始めてしまった。ロスタイムにはピルロが鮮やかな反転トラップからチャンスを作って、ロッシのゴールをアシストするビッグプレーがあったが、多くの観客はその目撃者になることができなかった。
 こうしてイタリアが3−1で米国を下した。イタリアも、南アフリカの観客も、この試合はまだまだ肩慣らしのような大会の入り方だった。

 楽しい雰囲気の試合だったなと、余韻を楽しんでいると、地元の観客が「何でそこにはたくさんのモニターテレビがあるのか」と尋ねてきた。確かに記者席には3人に1の割合でテレビが設置されている。これは多い。「日本から来たの。じゃあ、僕らの国のことが日本でも報道されるんだね」と言う。
「僕らの、わたしたちの国が日本で報道される」。そううれしそうに話す人々にこの4日間だけで何人も会った。南アフリカは治安の問題が深刻だが、それでもとても無邪気でフレンドリーな彼らと話していると、ふと「ここはそんなに危険な国ではないんじゃないか」とつい警戒の気持ちが緩んでくる。しかし昼間、レンタカーで迷い込んだスラム街の風景や、頑丈な鉄柵に囲まれた都市部の店の風景を思い出しながら、「いかん、いかん」と緊張を解かぬようにする。

 しかし彼らは人懐っこい。警備中の警官ですら、僕らとのコミュニケーションの機会を探っている。試合後、僕に近付いてきた彼らもモニターテレビの数を餌にして、「いい試合だったね」とコミュニケーションを図ろうとしてきた。そこで僕も尋ねてみた。「南アフリカの試合で歌っていた君たちの歌は何なの? 今日も歌っていたみたいだけど」と。
 彼は「そう! 試合前だろ!?」と待ってましたと答え始めた。「あれは『ショショローザ(Sho−Sholoza)』といって、鉱山で働く労働者が歌っていた歌なんだ」。ここで僕の頭の中に“友の形見のヘルメット”がリンクした。いろんな思いが詰まった歌なのだろう。僕は彼にその先の説明をせかす。
「この歌はね、ほら、昔南アフリカは黒人が白人に……」。どんどん話が核心に近付いてきた。そこで僕たちの話を聞いていた1人が、「おい、ここまでにしておけ」と話を制し、僕に向かって「この歌はいい歌だ。鉱山の労働者の歌なんだ。それでいいだろ?」と別れを促した。得意げに『ショショローザ』を説明していた彼は、申し訳なさそうにしている。

 耳の中に今も『ショショローザ』と『激唱〜青函トンネル〜』がリフレインしている。しかしショショローザの魂を理解するのは、まだお預けのようだ。もしかすると、彼らのタブーに触れてしまったのかもしれない。

<了>
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著者プロフィール

1966年生まれ。転勤族だったため、住む先々の土地でサッカーを楽しむことが基本姿勢。86年ワールドカップ(W杯)メキシコ大会を23試合観戦したことでサッカー観を養い、市井(しせい)の立場から“日常の中のサッカー”を語り続けている。W杯やユーロ(欧州選手権)をはじめオランダリーグ、ベルギーリーグ、ドイツ・ブンデスリーガなどを現地取材、リポートしている

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