名波浩「それでも僕は左足にこだわる」=日本を代表するレフティーの感性に迫る

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脳よりも左足の反応の方が速い

現役時代はジュビロ磐田の司令塔としてチームをけん引した名波浩氏 【Photo:AFLO FOTO AGENCY】

――左利きの選手は左足に大きなプライドを持っているような気がします。一方で右利きの選手に「おれは右足一本で行く」というのは見られない

 それは偏見ですよ(笑)。右利きの選手だって、最後は右足にこだわるんです。右利きのスキラッチ(元ジュビロ磐田)だって最後は右足で打っていましたから。自分の好きな形に持って行き、左足で切り替えして最後は右。絶対そうでした。
 ただ、右利きの選手は左足を意識的に練習しているなと感じます。一方、左利きの選手は希少価値があるので、その点が少し違うのかなと。

――とはいえ、左足しか使えない場合、プレーが制限されるのも事実です。名波さんは「右足が使えたら」と思わなかったのですか?

 そりゃ、思いますよ。「両足が使えたらいいな」って。もちろん左足にこだわりはありますよ。ただ、両足を使えればもっとすごい選手になっていたかもしれない。

 フェリペ監督(スコラーリ/現ブニョドコル監督)がジュビロに来たとき、「利き足とは逆の足も練習しろ」と言われました。ただ、試合ではもっぱら左足を使っていましたね。右サイドでも左のアウトでクロスを上げていましたから。
 それ以外は全く練習しなかったです。それは僕の性格的な問題だと思いますね。右足だとプレーの質が落ちるのは事実ですし、「左足一本で行く」と決めていましたから。右足を練習したとしても、プロレベルまで到達しないと意味がないですし。
 僕の脳が「右足でこうやれ」と言う前に、左足が出ちゃうんです。だから、自然と右足のプレーが少なくなる。そうしていくうちに脳の方が勝手にあきらめたのかなと。

 ただ、右足が使えない分、ファーストタッチには気をつけていました。左サイドから右サイドへパスを出すときはボールを正面に止めたり、あとは敢えて外側にボールを置いて遠心力でスパーンとパスしたり。逆に、右サイドにいるときは必ず左足の外側部分に置かないと。ただ、意図的に左足のアウトサイドでパスを出すときは正面に止めます。ボール1個分ほどの位置なんですが、気を使っていましたね。

それでも左足にこだわる

――逆に守備時はどうですか? 名波さんのように左足一本という選手にとってメリット、デメリットはあるのでしょうか?

 デメリットは相当ありますね。特にクリアボール。ボールが右足に来たときは精度が落ちます。自分が構えていてもボールの芯をとらえたクリアはできませんから。予期せぬ場面でもそう。1998年ワールドカップのアルゼンチン戦でバティストゥータの決勝ゴールをアシストしてしまったときもそうでした。あれはボールスピードが速かったというのもありますが。
 また、自陣ゴールを向いて相手選手が背中から迫っているときに、右サイドでボールを受けたら、左足のインサイドでボールを止めたいですから、そこで相手に食われる(ボールを奪われる)リスクがあります。それが怖い。その点、左サイドにいればタッチライン際を向けますから、ボールを取られても……というのはあります。

 スライディングに関してもそう。僕は95%の確率で左足でスライディングしましたが、右足はただ伸ばすだけ。
 あとは相手選手がドリブルで抜きにくるとき、例えば相手選手が自分の右側を突破してセンタリングを上げようとするときは、「右足でスライディングした方がいいのに」と思いますね。ところが僕は左足でいっていまう。
 よく服部が言っていたのですが、「そのコンマ何秒の差でボールを上げられてしまう」と。彼は守備専門の人間ですから両足でスライディングができます。しかも、それが本当にうまい。とにかく体のどこかに当たるんですね。スライディングに関しては日本で一番でしょう。だから、一番最短距離で早く出せる方の足でスライディングする。つま先にボールがかするだけでも違ってきますから。

――今は中村俊輔選手のように左利きでも右足も使える選手が増えてきましたが、今後のサッカーの流れとして、左利きの選手は右足も使えないと難しい状況になるのでしょうか?

 客観的に自分のプレーを見て、右足を必要とすれば練習すればいいし、必要としないのであればそのままでもいいと思います。90分間で左足・右足を7対3、6対4の比率で使う状況になればやるべきだろうし、9対1、8対2で十分にやれるのなら練習する必要はないでしょう。ただ、もし今の時代に僕が20歳だったとして、10年後、20年後にサッカーが変化していっても、左足にはこだわり続けるでしょうね。

<了>

■名波浩/Nanami Hiroshi
1972年11月28日生まれ。静岡県藤枝市出身。清水商業高校、順天堂大学を経て、95年にジュビロ磐田に加入。広い視野からの的確な状況判断と正確な左足の技術で、磐田の黄金時代を支えたMF。日本代表では10番を背負い、98年ワールドカップ・フランス大会に出場。2000年のアジアカップではMVPも獲得した。2008年限りで現役を引退した。国際Aマッチは67試合出場で9得点。

名波浩氏のオフィシャルDVD

 1995年、ジュビロ磐田でセンセーショナルなデビューを果たし、2008年12月に愛するサックスブルーのユニホームを着たまま、スパイクを脱いだ名波浩。この天才レフティーの14年にわたるプロ生活をジュビロ磐田、日本代表の豊富なプレー映像とともに振り返る。
(※品切れの可能性があります。お問い合わせ:ヤマハフットボールクラブ 営業部 0538−36−4670)

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