レーカーズの363日、優勝までの長い旅=NBA

宮地陽子

4勝1敗でファイナルを制し、優勝を喜ぶコービー(中央)やフィッシャー(右から3人目)ら。レーカーズ、優勝までの道のりを振り返る 【Photo:NBAE/Getty Images】

 現地時間の6月14日、ロサンゼルス・レーカーズがオーランド・マジックを4勝1敗で下して優勝し、2008−9年のNBAシーズンが幕を下ろした。
 試合後、レーカーズのヘッドコーチ、フィル・ジャクソンは、「一番大事なのは旅の行程だ」と言った。優勝という一つの目標に向けてチームが一つにまとまり、お互いに助け合い、うまくいかないときでもあきらめず、気持ちを強く持ち続ける。その過程を経験することが選手にとってもコーチにとっても一番の喜びであるというのだ。
 結果から見るとレーカーズの1年間は何の苦しみも悩みもなく、順調に勝ち続け、優勝を手にしたようにも見える。レギュラーシーズン中は2試合以上続けて負けることはなく、成績はリーグ2位の65勝17敗。プレーオフでは一度も連敗することなく、勝たなくてはいけない試合は必ず手中にしていた。
 しかし実際には1年間の間には、主力選手の故障や好不調の波もあった。そして、壁にぶつかるたびにチームがまとまり、さらに強くなっていった。その過程を経たからこそ、NBAファイナルで王者にふさわしい戦いをすることができたのだ。

 雪辱を誓った昨年の6月17日から優勝にいたるまで363日――。レーカーズにとって重要な局面を中心に、優勝までの旅の過程を振り返ってみたい。

08年6月17日 @ボストン

 旅は1年前、ボストンで始まった。スコアボードが示していた得点は131−92。39点差の惨敗でレーカーズの優勝の夢が消えた。ボストン・セルティックスの選手やファンが優勝を祝う音をビジター用ロッカールームで聞きながら、レーカーズの選手たちは雪辱を誓っていた。選手たちがアリーナからホテルにバスで戻る途中、一部の心無いセルティックス・ファンに石を投げられる場面もあったが、そういった経験、悔しい思いをすべて心に刻み、秋からのシーズンのエネルギーとして蓄えていた。ホテルに戻った選手たちは、敗戦の失望と痛みを感じながらも、すでにその視線は秋からの新しいシーズンに向いていた。
 後にガードのデレック・フィッシャーはそのときのことをこう語った。
「ホテルのラウンジで、優勝するためにチームに何が必要なのか、いろいろと話し合った。次の日、LAに戻る機内は長くつらい時間だったが、あれが今シーズンの原動力となった」

08年10月28日 @ロサンゼルス

 開幕戦は若くて勢いのあるポートランド・トレイルブレイザーズとの対戦。キャンプで力を入れて練習した高さを生かしたディフェンスでブレイザーズを76点に抑え、20点差での大勝。それはまるでリーグ中に向けての宣戦布告のようだった。目指すは優勝のみ。その気持ちを常に忘れないために、シーズンを通して、チームの円陣を解くときには「ワン・ツー・スリー、リング」(リング=優勝指輪)と優勝を意識した掛け声をかけるようになった。

08年12月25日 @ロサンゼルス

 6カ月前にNBAファイナルで苦い敗戦を喫した相手、セルティックスとホームで対戦。ファイナルで力を発揮できなかったフォワードのパウ・ガソルが終盤に活躍し、19連勝中だったセルティックスを止めた。「誰が相手でも勝てるということを見せることができた」とガソル。セルティックスに勝つまでは緑の服は着ないと宣言するガードのサーシャ・ブヤチッチは「去年はみんな僕らをソフトだと言っていた。でも僕らもタフだということを今夜見せることができた」と競争心をむき出しにした。

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著者プロフィール

東京都出身。国際基督教大学教養学部卒。出版社勤務後にアメリカに居を移し、バスケットボール・ライターとしての活動を始める。NBAや国際大会(2002年・2006年の世界選手権、1996年のオリンピックなど)を取材するほか、アメリカで活動する日本人選手の取材も続けている。『Number』『HOOP』『月刊バスケットボール』に連載を持ち、雑誌を中心に執筆活動中。著書に『The Man 〜 マイケル・ジョーダン・ストーリー完結編』(日本文化出版)、編書に田臥勇太著『Never Too Late 今からでも遅くない』(日本文化出版)がある。現在、ロサンゼルス近郊在住。

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