“戦士”シャラポワが覚醒した日=全仏テニス

内田暁

過酷な女子テニス界に戻ってきた“妖精”

過酷な女子テニス界に戻ってきた“妖精”シャラポワ。今大会で“ファイター”としての一面が覚醒した 【Getty Images】

 思えば、マリア・シャラポワ(ロシア)が右肩の負傷で昨年7月からコートを離れていた間、女子テニス界の勢力図は、さまざまな変様を経てきたものだ。
 ランキング1位の称号は、アナ・イワノビッチ(セルビア)からエレナ・ヤンコビッチ(セルビア)、セリーナ・ウィリアムズ(米国)にディナラ・サフィナ(ロシア)と、実に4人の手を転々とした。
 また、ビクトリア・アザレンカ(ベラルーシ)やキャロライン・ウォズニアッキ(デンマーク)といった10代の若手選手が新たにトップ10入りし、大掛かりな世代交代の機運も急激に盛り上がっている。

「スピードテニス」「パワーテニス」はますますその度合いを強め、23.77m×8.23mのコートの中は、一瞬たりとも気を抜くことが許されぬ、触れれば切れそうな緊張感が支配する――シャラポワが長期休養から戻ってきたのは、そのような過酷な戦場だった。
 
 だがそもそもシャラポワとは、そのような戦地の空気に、誰よりも魅せられた選手である。今回の全仏の前に出場した、女子シングルス復帰戦となるワルシャワ・オープンの際、シャラポワはこんなコメントを残している。
 試合前に、ソースもかかっていないボソボソのパスタを食べたシャラポワは、そのあまりの味気なさに、
「こんな物のために、私は復帰してきたの?」
との考えが脳裏をよぎったが、いざコートに歩み出て、実戦特有の高揚感を覚え、アドレナリンが体の隅々まで駆け巡ったとき、
「私は、このために戻ってきたんだ!」
と、心から思ったという。

“ファイター”とは、シャラポワの強さを形容する際に多くの選手たちが口にする言葉だが、今大会での彼女の戦いぶりを見て、改めて、彼女は生まれついてのファイターなのだなと実感させられた。

「マリア」コールに相手が委縮

 例えば、2回戦の対ナディア・ペトロワ(ロシア)戦だ。
 ペトロワは、現在世界ランキング11位の実力者。わけてもクレーコートを得意とし、全仏では過去2回、準決勝まで出場している。
 一方のシャラポワは、復帰直後に加え、もともとクレーを苦手としている。彼女の、コンパスのようにスックと伸びた長い足は、グリップの効くハードコートでは“広いストライド”として生きるが、足元がずるずると滑る土の上では、腰高で足腰が弱いように映ってしまう。二人の直接対決ではシャラポワが大きくリードしているものの、さまざまな要素をかんがみると、圧倒的にペトロワ優位と思われた。

 それでもこの試合、シャラポワは6−2、1−6とセットを分け合うと、最終セットでは8−6という大熱戦の末に、勝利した。従来は、シャラポワにさほどの関心を示さぬフランスのファンが、彼女の「復帰物語」に共感してか、全面的にシャラポワびいきになったのも大きかったろう。ローラン・ギャロスの観客は、陽気で気まぐれで、そして残酷だ。ファイナルセットに入ると、要所要所でスタジアムを揺るがす程の「マリア」コールで、対戦相手のペトロワを委縮させしまったのだ。

 だがシャラポワ自身はというと、その観客の声もほとんど耳に入っていないのでは、と思われるほどの集中力を発揮し始める。ボールパーソンからボールやタオルを受け取る際にすら、彼女の両眼には、狂気としか形容しようの無い、冷たく鋭い光が宿っていた。クレーコートでは、ドロップショットや中ロブなど、ペースに変化をつけるショットが効果的だが、シャラポワはそんなことなどお構いなし。いつもの絶叫をとどろかせながら、肩が吹っ飛ぶのではないかと心配になるほどのこん身の力を込め、ボールを相手コートにたたきつける。最後はペトロワが根負けしたかのように、ダブルフォルト、そしてバックハンドのミスショットを重ね、シャラポワが勝利を手にしたのだ。

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著者プロフィール

テニス雑誌『スマッシュ』などのメディアに執筆するフリーライター。2006年頃からグランドスラム等の主要大会の取材を始め、08年デルレイビーチ国際選手権での錦織圭ツアー初優勝にも立ち合う。近著に、錦織圭の幼少期からの足跡を綴ったノンフィクション『錦織圭 リターンゲーム』(学研プラス)や、アスリートの肉体及び精神の動きを神経科学(脳科学)の知見から解説する『勝てる脳、負ける脳 一流アスリートの脳内で起きていること』(集英社)がある。京都在住。

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