共通?それとも対照的?「最後の4割打者」とイチロー
フェンウェイ・パークで開催された1999年オールスターゲームにゲストとして招かれたテッド・ウィリアムズ(左)は、帽子を掲げてファンの大歓声に応えた 【Getty Images】
だが、ウィリアムズは「最後の4割打者」の称号から連想される安打製造機タイプのバッターではなかった。むしろ2度の三冠王が象徴するように「スラッガー」としての完ぺきな打者像を19年の現役生活の間、追い求め続けた野球人生だった。
高打率を支えた選球眼
39年にレッドソックスでメジャー昇格を果たすと、いきなり打率3割2分7厘、31本塁打、145打点でメジャーの新人として初の打点王に輝く。この年、ウィリアムズは三振64個に対して107四球と早くも並外れた選球眼を発揮。以後、100個以上の四球を選んだシーズンが11回なのに対し、三振の数は現役引退までデビューの年を上回るシーズンはなかった。
ウィリアムズはその気難しい性格からメディアやファンとのいさかいが絶えなかったが、一方で審判の判定にクレームをつけることは皆無だった。審判に異議を唱えないことと、ボール球に手を出さないこと──マイナー時代に往年のロジャース・ホーンスビー(三冠王2度の大打者)から受けたアドバイスはウィリアムズにとってのいわば「座右の銘」だった。
「ブードロー・シフト」も苦にせず
歴代最高打率3割6分7厘を誇り「球聖」と呼ばれたタイ・カッブからは、「シフトの逆を突いて左方向に打球を流せば毎年4割が打てる」とアドバイスの手紙が送られてきたが、ウィリアムズはそれをロッカールームでビリビリに破り捨てた。唯一、ブードロー・シフトに対して流し打ちを試みたのは、リーグ優勝のかかった9月13日、0対0のこう着状態を打ち破るために放った一打だった。その打球がショートの守備位置にいたレフトの頭上を越え、無人の左中間を転々とする間に、ウィリアムズはベースを一周して決勝のホームを踏んだ。選手生活で放った唯一のランニング本塁打だった。
心残りの三つの悔い
一つはワールドシリーズのひのき舞台を踏んだのが1度だけで、カージナルスに敗れてチャンピオンズリングを手にできなかったこと。二つ目は第二次世界大戦と朝鮮戦争での兵役で選手生活を5年近く中断されたこと。そして「俊足」に恵まれなかったことである。57年、ウィリアムズは打率3割8分8厘で史上最年長39歳で5度目の首位打者を獲得したが、もし自分にもう少しスピードがあってあと5本のヒットを内野安打で稼いでいたら、2度目の打率4割を記録できていたと、終生悔しがっていた。
イチローにはそのウィリアムズが欲してやまなかった快足、そしてウィリアムズよりも平穏な時代にプレーできる幸福がある。68年ぶりの打率4割実現は、困難だが決して不可能な目標ではない。21世紀のメジャーリーグを代表する打者として、彼にはそれを成し遂げ、天国のウィリアムズにベースボールの「進化」を証明する使命があるはずだ。
<了>
※次回は2月19日に掲載予定です。
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