インディー格闘家・入江秀忠の「Road to 戦極」前編

入江秀忠

1.4戦極に出場した入江。ついにメジャーのリングに立った 【t.SAKUMA】

 ひとことでいえば、旅かな……本当に長く険しく、そして夢のような旅だった。
 人は夢なしでは生きていけない。
 それはいつの時代もいくつになっても変わらないことと思っている。

 西暦1969年に、対馬という長崎の離島でこの世に生を受け39年。
 俺は本当に希有の人生を生きてきた自負もある。
 そして、そんな誰もが認める“格闘技界1の問題児”がついにメジャーのリングに立った。

大きな賭け、戦極への営業

 戦極への売り込みは、いわゆる一つの大きな賭けではあった。
 なにしろメジャー団体『戦極』の広報を務める國保(尊弘)さんとは試合会場でご挨拶した程度なのだから……それに、やはり交渉事は直接選手が先方に電話することは、いくら“破天荒”と言われている俺でもなんとなくタブーに思えたし、気もひけた。

 しかしメジャー挑戦を表明して1年半以上、いろいろな団体に強引に資料を送りつけたり、過激なアピールは繰り返してきたものの、メジャーからの参戦オファーはまったくもって微塵(みじん)もない状態が続いていた。
(本当に今の現状はなりふりかまってはられないな!こうなったら馬鹿なふりして直接戦極に営業をかけよう)
 そう思いたったのは2008年、夏の日差しが強くなってきた頃だろうか。

 とりあえず俺は國保さんの携帯番号などは知らないため、直接戦極を運営をしているワールド・ビクトリー・ロードに電話することにした。ワールド・ビクトリー・ロードに電話すると、普段國保さんは代表取締役のご自身の会社「J−ROCK」にいるという。俺は今度は即座にJ−ROCKに電話した。
「え〜私、キングダムエルガイツの入江秀忠と申しますが、以前國保社長に一度ご挨拶させていただいたものです。國保さんはいらっしゃいますか?」
 しばしの沈黙の後「しばらくお待ちください」と電話口で言われ、待つこととした。

「あ〜どうもこんにちは。びっくりしましたよ」
 それから数分すると、國保さん本人が出てくれた。まー、びっくりするだろうな……。
「すいません、ほんとに不躾(ぶしつけ)なお願いなのですが私、どうしてもそちらの団体で試合させていただきたいもので……なんとかお話し合いのお時間いただければ幸いです」
「……そうですか……わかりました。こちらからスケジュール決めて連絡します」
「よろしく御願い致します」
と、俺が國保さんとの電話を丁重に切った。
 さあ、この賭けは吉とでるか……それとも……。

お、これがメジャーのお茶か〜

戦極出場の交渉のためJ−ROCKのオフィスへ 【入江秀忠】

 それから2週間ぐらいたっただろうか。なんと本当に打ち合わせの日程の連絡が来た。俺は電話を受けながら心の中でガッツポーズした。なにはともあれ、いよいよ待ちに待ったメジャーとの交渉がはじまったのだ。

 打ち合わせ当日に渋谷駅に降り立ち教えられたとおりに歩くと、ついにJ−ROCKのあるビルについた。
(お〜これがメジャーの事務所か〜)
 受付の人にインターホンで連絡し会社の中に入ると、戦極のポスターはもちろん吉田秀彦選手や中村カズ選手のポスター類がデカデカと張ってある。
 その通路を歩くとJ−ROCKの社員さんたちが気さくに挨拶をしてくれた。
(まあ、多分俺のことなんかみんな知らねーんだろうけど……)
 そう考えている間にも、俺は一番奥の社長室にたどりついていた。
軽いご挨拶と談笑を済ませたあと、國保広報と俺は名刺を交換した。
(お〜これがメジャーの名刺か、お、メジャーのお茶か〜)

「このたびはわざわざ、時間を取っていただいてスイマセン」
 そして俺は國保広報に2〜3日前から山程用意した資料を手渡すと、今までの思いを静かに語りだした。それはK−1トライアウトからのいきさつやこれまでの経緯、そしてメジャーに絶対上がらなければいけない理由を真剣に語ったつもりだ。

 結果からいえば予想していたことではあるのだが、即答での参戦受諾はもらえなかった。俺は國保さんに挨拶してから社長室をあとにした。

 帰る時にどうしてもこのコラム用の写真が欲しかったので、会社の入り口のJ−ROCKの看板の前でまごまごしていると、社員の女の人が出てきてくれ写真を撮ってくれた。「すいません、もう二度と来ることもないかもしれないもんで……」
と俺がその人に照れくさそうにいうと
「そんなことないですよ〜」
 そう言ってくれた言葉が社交辞令でもうれしく感じた。

 とにかく、戦極というメジャーと呼ばれる団体の広報が“インディー格闘家”のことで話し合ってくれた事はまぎれもない事実ではあった。

ついに、道はメジャーへ

 そして、あの夏の交渉から月日が流れて……人々が冬支度をはじめる頃、俺がやっぱりだめかな〜とあきらめかけていた時、思いがけずちょっと早いクリスマスプレゼントが届いた。
 その内容は、新春1月4日の戦極の乱2009への出場オファー。
 俺は実際、耳を疑わざるえなかった……。

 1月4日の興行といえば、2大タイトルマッチが行われる戦極の中でも通常のナンバーシリーズと違う特別興行だと俺は知っていた。
 いろいろな人たちのサポートがあり実現したメジャーデビューではあったが、まさかこのタイミングで俺の起用とは……でも、なにはともあれやるしかないのである。
「やります……相手は誰でもいい……」
 そして、この日からクリスマス正月も返上の地獄のトレーニングが始まった。

 俺は39歳になっていた……。
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著者プロフィール

1969年6月17日 生まれ。長崎県出身。キングダムエルガイツ代表。インディ格闘家・プロレスラー

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