アイスホッケーの名門、西武の廃部決定という逆境のなかで

沢田聡子

「苦渋の決断」だった活動休止

廃部決定の会見に臨むチームの親会社プリンスホテルの渡辺幸弘社長(右)と小山内幹雄オーナー代行(左) 【沢田聡子】

 男子アイスホッケー日本代表が出場した最後の五輪は、1998年の長野五輪である。開催国枠での出場だったが、長野大会で日本は22年ぶりの五輪での勝利を挙げた。13、14位決定戦である対オーストリア戦はペナルティーショット戦までもつれ、GK芋生ダスティが好守、最後にFW八幡真がシュートを決めて悲願の1勝をもぎとる。当時、日本リーグでは芋生は西武鉄道、八幡はコクドに所属していた。

 幾多の名選手を輩出、代表に送り込んできた名門チーム、コクドと西武鉄道の流れをくむ西武プリンスラビッツが、今季限りでの活動終了を発表した。12月19日、株式会社プリンスホテルの渡辺幸弘社長と小山内幹雄オーナー代行は沈痛な面持ちで会見に臨んだ。配られたリリースには、活動終了の理由として「厳しい経営環境に直面し、さまざまな経営施策を講じている中、部の運営にかかわる経費負担が相当過大となっているため」とあり、渡辺社長は「苦渋の決断」と語った。今後はチームとして引き受ける会社を探す方向で、選手とは個別に話をしていくという。

 チームの運営費として会見で示された数字は年間約5億円。「いかんせん、とにかくお金がかかるスポーツ。選手達と(テーピング)テープ一本でも節約していこうとやってきた」(小山内オーナー代行)。世界的な不況のなか、受け入れてくれる企業を探すのは簡単ではないだろうが、報道によれば都内の企業を第一候補として複数の企業と交渉しており、手応えはあるようだ。名門の風格漂うコクドと強さあふれる西武鉄道、ともに魅力的だった両チームの伝統を引き継ぐ西武には、何としてもチームとして存続してほしい。

寒い会場と熱い声援

 アイスホッケーの試合会場は、新横浜も東伏見も代々木も、いつも寒かった。リンクがあるから仕方がないと理解していたが、フィギュアスケートの大会で同じ会場を訪れたときには寒さを感じず、アイスホッケー取材での寒さは観客の少なさにも原因があると気づいてがくぜんとした覚えがある。

 それでも、熱心なアイスホッケーファンは確実に存在する。彼らは、毎年シーズンがやってくると寒いリンクに足しげくやってきて、懸命に声援を送る。選手はもちろんのこと、観客にせよメディアにせよ、アイスホッケー会場の常連は皆ホッケーに対する愛情が深いという印象がある。
 月並みな表現をあえて使えば、冷たい氷の上で展開される戦いはとても熱い。試合後の選手達はしばしば何処かを痛めている。北海道出身者の多い気の良い青年たちは、氷に乗ると人が違ったように激しいプレーを見せてくれる。

 アイスホッケーの不幸は、テレビ放送ではその魅力が非常に伝わりにくいことだろう。初めて生でホッケーを見たときは、フェンスに激突する選手の姿に圧倒された。ゴール裏で見る、激しい攻防にも迫力がある。ただそれは会場に来て初めて分かる面白さであり、一般的にアイスホッケーを見に行こう、という決断に至ること自体があまりないと考えられる。今からでも遅くはない。ぜひ会場に足を運んでいただきたい。ほぼすべての方が面白いと感じるはずだ。

2月からは五輪最終予選も開始

「来季も君達の勇姿が観たい」と書かれた横断幕と、王子製紙に勝った西武の選手たち=20日、札幌市月寒体育館 【共同】

 17日、敗戦後のロッカールームで、小山内オーナー代行に廃部を伝えられた西武・若林クリス監督は号泣したとも伝えられる。しかし、20日の対王子戦の前には「これだけ注目を集めるのは、長野五輪以来。ここで魅力あるプレーをすれば、チャンスになる。それはこのチームにしかできない」と選手に語りかけたという。監督の言葉に奮起してか、西武はその前の対戦で連敗した王子に3−0で快勝している。会場には「来季も君達の勇姿が観たい」と書かれた横断幕が張られ、私設応援団が存続を求める署名活動を行って一日で約1800人の署名を集めたといい、ファンの気持ちも西武を後押ししてくれたのだろう。さらに翌21日の対日本製紙戦でも勝ち、遂にリーグ首位に立った(12月22日現在)。

 来年2月にはドイツでバンクーバー五輪の最終予選が始まる。西武には代表候補選手のうち11人が所属する。影響は避けられないだろうが、20日の西武の勝利からは、逆境をバネにできる選手の精神力がうかがえる。
 長野五輪の歓喜から10年。盟主であり続けたチームが廃部を決め、日本のアイスホッケーは危機を迎えたと言っていい。この状況で、ただでさえ厳しい組み合わせのバンクーバー五輪最終予選を勝ち抜くのは難しいと言わざるを得ない。その厳しさを承知の上で、あえて西武の、そして代表に選ばれる選手達に、長野五輪日本代表がスローガンとして掲げていた言葉を送りたい。

「PLAY WITH PRIDE NEVER QUIT (プライドを持って戦い、決してあきらめない)」

 逆境にある今こそ、信じられないような力がきっと発揮できるはずだ。
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著者プロフィール

1972年埼玉県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業後、出版社に勤めながら、97年にライターとして活動を始める。2004年からフリー。主に採点競技(アーティスティックスイミング等)やアイスホッケーを取材して雑誌やウェブに寄稿、現在に至る。

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