村田と横地、引退試合で見せた真骨頂=2人の舞姫が信じた道=新体操

椎名桂子
 メーンシーズン最後を飾る全日本選手権。2007年大会では、1990年代後半から約10年間、日本新体操界のトップで輝き続けた二人の選手が引退した。
 村田由香里と横地愛。
 ライバルとして、シドニー五輪、アテネ五輪の代表枠などを争ってきた二人。競技の始まり、転機、そして引退までの歩みのなかで、それぞれが表現してきたもの、信じたものとは――。

早熟な村田、遅咲きの横地

11月の全日本選手権、日本新体操界のトップに立ち続けた村田(写真)、横地が引退した 【榊原嘉徳】

 村田由香里(日本体育大学大学院)は、この10年間日本新体操界の押しも押さぬトップ選手だった。1997年、高校1年生で全日本選手権2位に入った村田。2000年シドニー五輪には日本団体チームメンバーとして出場、04年アテネ五輪は日本代表個人選手、01年〜06年全日本選手権6連覇。国内の試合では表彰台に乗らないことはない、いや、ほとんどはその真ん中に立ち続けた選手である。まさに村田は10年間、日本のトップを走り続けたと言えるだろう。

 そんな輝かしい経歴をもつ村田だが、シドニー五輪を控えた1999年〜2000年は、長い長い1年だったのではないだろうか。
五輪出場権が懸かった1999年の世界選手権は、日本の大阪で9月に開催された。4カ月前の5月に行われた世界選手権代表決定戦では、当時高校3年生の村田が堂々1位。前年度の全日本チャンピオン・松永里絵子(当時・東京女子体育大学)を抑え「日本のエース」に浮上した。

 しかし世界選手権直前の8月、村田はインターハイでまさかの2位に沈む。このとき、村田を破って優勝したのが横地愛(イオン)であった。横地も、世界選手権代表決定戦で3位に入っており、村田とともに世界選手権への出場が決まっていた。
 小学生のころから、全日本ジュニアにも出場していた早咲きの村田に比べると、横地は新体操を始めたのが8歳、本格的に選手として練習し始めたのは12歳と遅めのスタートだった。そのため、ジュニア時代には村田にははるかに及ばなかったが、高校生のときに、ブルガリア留学を経てぐっと力をつけた横地は、まさにこのころが伸び盛り。日本での世界選手権、それも翌年に五輪を控えた大事な年にまるで合わせたかのように、横地はぐいぐいと日本のトップをうかがえるところまで急追してきていたのだ。

ターニングポイントとなったシドニー五輪

2000年のシドニー五輪。村田(中央)は、団体の選手として五輪初出場を果たした 【写真は共同】

 そして、1999年の世界選手権で横地は、日本選手では松永の10位に次ぐ個人22位という大健闘を見せ、個人総合の決勝に進出。村田は予選で敗退した。
 この世界選手権で日本の団体チームは4位入賞と健闘し、シドニー五輪でのメダルに期待がふくらんだ。一方で、個人の出場獲得枠は1人となり、世界選手権でも10位に入った松永が最有力候補に躍り出た。そうなると、村田がこのまま個人競技で挑戦しても、国内の代表選考会を勝ち抜く可能性は低い。また日本の団体は五輪でのメダル獲得に向けて強化するためのメンバー変更を模索していた。2000年1月30日、シドニー五輪に出場する団体メンバーの選考会が行われ、選出されたメンバーの中には「村田由香里」の名前があった。まだ18歳だった村田は、まずは団体での五輪出場を選んだのだ。それが本人の意思を最優先した決断だったかどうかは分からないが。
 そしてシドニー五輪を控えた2000年のシーズン、国内の試合から村田の名前は消えた。4月に行われた個人の五輪代表決定戦にも当然出場していない。下馬評通り、松永が優勝して五輪出場を決めたが、きん差の2位には横地がつけていた。

 2000年夏、村田は団体のメンバーとしてシドニー五輪を経験した。そして、日本の団体はメダルには届かなかったが5位入賞を果たす。

 五輪後の11月に行われたこの年の全日本選手権で村田は個人競技へ復帰するが、松永、横地に次いでの3位。村田が団体選手として過ごした期間、五輪とは無縁の世界で自分を磨き続けた横地の成長は、2000年末の時点で村田を上回る結果をもたらしたのだ。このときの敗北を、シドニー五輪出場の代償のように村田は感じなかっただろうか。しかし、勝った横地もまた、ライバル・村田はすでに「五輪出場選手」であり、そこには大きな差ができてしまったと感じていなかっただろうか。シドニー五輪の年・2000年。この年が、2人にとって大きなターニングポイントだったように思う。

1/3ページ

著者プロフィール

1961年、熊本県生まれ。駒澤大学文学部卒業。出産後、主に育児雑誌・女性誌を中心にフリーライターとして活動。1998年より新体操の魅力に引き込まれ、日本のチャイルドからトップまでを見つめ続ける。2002年には新体操応援サイトを開設、2007年には100万アクセスを記録。2004年よりスポーツナビで新体操関係のニュース、コラムを執筆。 新体操の魅力を伝えるチャンスを常に求め続けている。

新着記事

編集部ピックアップ

コラムランキング

おすすめ記事(Doスポーツ)

記事一覧

日本オリンピック委員会公式サイト

JOC公式アカウント