朝原が引退 日本選手最高の3位に=スーパー陸上 

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陸上の朝原が引退レース。試合後のセレモニーで、末續らに胴上げされる朝原 【スポーツナビ】

 「セイコースーパー陸上2008川崎」が23日、神奈川・等々力陸上競技場で行われ、今大会限りで現役引退を表明している朝原宣治(大阪ガス)が男子100mに出場した。当初目標にしていた9秒台には届かなかったものの日本選手最高となる10秒37で3位に。また、同種目には、北京五輪4×100mリレーの銅メダルメンバーも出場し、塚原直貴(富士通)が4位、末續慎吾(ミズノ)が5位、高平慎士(富士通)が7位という結果になった。 

 男子ハンマー投げでは室伏広治(ミズノ)が最後に81m02を記録し、2年ぶりに優勝を果たした。
 女子100mでは、北京五輪の代表でもあった福島千里(北海道ハイテクAC)が、外国人選手を抑えて優勝した。

 <以下、選手コメント> 

朝原「最後にメダルというプレゼントをいただいて、引退できることは幸せ」

引退レースで朝原は、日本人最高となる3位でゴール(左から3人目) 【スポーツナビ】

――大会の感想は

朝原 これ以上ないというくらいの大会をしていただいて、非常に光栄に思っています。こういうレースが毎週できたら楽しいなというくらいのレースでした。

――引退会見を大阪ガスでやったときに、最後のレースを勝って終わりたい、完全燃焼したいと言っていたが

朝原 結果はタイムも、よくないわけですが、試合全体の充実感といいますか、昨日からワクワクしていて、レースをしているときも無心というか、楽しみながら走れて、いいレースだったと思います。

――あらためて競技人生を振り返って

朝原 20年以上やってきたので、一言では言い表せないんですが、僕の人生の大半を競技が占めていたので、生活の一部として切っても切れない存在になっています。競技を極めようという気持ちを持ちながら、もちろん競技を楽しんでもいたんですが、人間的にも育っていったと思います。最後の最後にメダルというプレゼントをいただいて、引退できることは本当に幸せだと思います。

9秒台と、100mのファイナリストは心残り

朝原の引退セレモニーには、北京五輪金メダリストのウサイン・ボルトが登場し、花束を贈呈 【スポーツナビ】

――最後のレースでどんな心境だったか

朝原 今日は本当に不思議なレースでした。正直、自分が思いっきり走れれば順位はどうでもいいと思っていました。勝ちたいというのはあったけど、辞める決意ができたことも関係していますが、これまでは競技者として若い選手を応援している気持ちと、負けたくないという気持ちがあるんですが、今日は若い選手に頑張ってくれという気持ちと、僕が思いっきり力を出そうという気持ちでアップしていました。変な緊張感もなかったし、あとにつながるレースはないので、このレースをしっかりと、真剣にアップをしていました。ワクワクする感じでした。

――これから一番伝えたいことは? 36歳までできた要因は?

朝原 長く続けられたことと、伝えていきたいことはつながっています。インターハイとかで自己ベスト出して、それから大学に入って伸びない選手をたくさん見てきました。ある程度は過去の自分を尊敬しながら、こだわってやっていくことも必要ですが、僕はあえて新しい環境を求めて、なじまないといけない術を身に付けたり、トレーニング方法を見つけたりしてきました。何が必要かと考えられる選手というか、伝えることは難しいですが、そういうことが分かる選手が増えていけば、寿命の長い選手、世界と戦える選手が増えていくと思います。

――やり残したことは?

朝原 9秒台を出せなかったことと、個人で100mのファイナリストは本当に、どれだけあそこに立てたら気持ちいいだろうなというのを追い求めてきたので、できなかったことは残念ですが、できる限りのことをやり尽くしたので、残念ですが仕方がないです。これからの選手に託したいなと思います。

――どうやったら速く走れるかというイメージを確立したいといっていたが

朝原 今日も自分の中ではちょっと新しいことをやったつもりなんです。北京が終わってから満足に練習できない状況だったので、もうちょっと時間的な余裕があれば、そういう走りができたんじゃないかというイメージはあります。

――新しいこととはなんでしょうか?

朝原 僕は北京のときも失敗したんですが、1次予選は体の真ん中から加速して動いたんですが、2次予選では足で走ろうとしたんです。それを自分の意思でスタートから体の真ん中から動かせる、こうやっていけば真ん中を使って加速して最後まで行けるだろうという走り方をアップのときからやっていました。

――昨年の世界陸上、北京五輪、そして今回の3度目の涙の心境は?

朝原 歳をとって涙もろくなっているのはありますが、最初は泣く気配がなくて、引退レースはこんなもんかとからっとした気分で終わったんですが、(セレモニーで)早狩(実紀)がすでに泣いてきたので、そこでうるっときて、次のリレーメンバーが来たときにはもうダメでしたね。一緒に戦ってきた仲間で、ライバルでもある選手から花束をもらって送り出されるということは先輩として光栄なことなので、うれし涙でした。

――ベストの走りは、どの大会ですか?

朝原 リレーでいうと、無心で走れたのは(2004年)アテネ(五輪)と北京(五輪)。アテネの走りは僕はいいかなと思います。北京は走りの技術的な部分は考えないとして、気持ち的には無心で走れて良かったです。挙げたらたくさんあって、(2000年)シドニー(五輪)もけが明けで、決勝に残ったときはすごくうれしかったので、印象に残っています。
 100mでいうと、10秒08を出した(1997年)ローザンヌ(グランプリ)のときとか、(2001年)エドモントン(世界選手権)の2次予選だったり、去年の大阪(世界選手権)の1次予選も良かったと思います。

実際に勝っちゃうとうれしいのかよく分からない

レース後、100mを走った選手とともに朝原は、競技場内を一周。観客の声援に応えた 【スポーツナビ】

朝原 勝ちたい勝ちたいと言っていて、実際に勝っちゃうとうれしいのかよく分からないですね。外国人選手が意外にもちゃんと走っていたので、日本人がトップにならないとまずいなと(笑)。走り終わってすぐなので、寂しいという気持ちよりはやり切ったすがすがしい気分の方が大きいです。
 けがで辞めていく人が多いなか、みんなにお祝いしてもらいながら、五体満足で終われる幸せ。僕の中できれいに終わるというのがあって、昨年の世界陸上でいい試合ができて、このまま辞めたらきれいと思っていたなかで、やるところまでやろうと続けたんですが、体がガタガタでもなく、結果も出して辞めるということで、できるところまでやって、かついいところで辞められたという両方があります。
 アテネの後はどうしても精神的にきつくて、すぐに次、次とはならなくて。大阪の世界陸上が地元でなかったら(2005年)ヘルシンキの世界陸上で終わっていたと思います。
 澤野君や末續とか、28歳という微妙な、今までどおりにはいかないという年齢の選手が代表にも増えて、僕もシドニーではそうで、けがもしたりしていたので、そういう経験を話しました。
 考え方を柔軟にしていろいろと模索してやらないと自分のやり方はできない。そこでちょっと間違ったら修正することが大事。
 僕より上の世代の方は、28歳くらいで辞める人がほとんどで、30歳がボーダーラインといわれていました。僕が30歳を超えたことで、後輩も安心する要素ができたと思います。

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