“赤い悪魔”に受け継がれる熱い意思=クラブW杯
9年前のカンプノウで輝いた男
9年前のカンプノウで行われたCL決勝でユナイテッドを優勝へと導いたスールシャール 【Getty Images/AFLO】
主役は1年前の現役引退以来、粛々とコーチ修行に取り組んできたオーレ・グンナー・スールシャール。試合後、感慨深げに「1996年の入団以来、一瞬たりともユナイテッドを去ろうと考えたことはなかった」と自らのレッド・デヴィル(ユナイテッドの愛称)人生を振り返るオーレは、つつましくこう続けている。
「世界最高の監督の下で世界最高の仲間に囲まれ、世界最高のサポーターから声援を受けてプレーし続けてこられたこの11年間を思うと、(こんな晴れがましい機会を設けてもらったことに)なんだか申し訳ない気がする」
十年一昔という。スールシャールにとっては“十一年”一昔、ユナイテッドにとっては“九年”一昔とでも言うべきか。あの、バルセロナはカンプノウでの劇的な勝利からほんの3カ月前の雨のモスクワに至る道程は、ほぼスールシャールの“つつましく”波乱に満ちたキャリアそのものでもある。言い換えれば、有り余る栄光に彩られてきたように見えても、その地位を維持し続けるための紆余(うよ)曲折、喜びと苦さが渾然(こんぜん)となった感慨――それが、いみじくも彼の言葉ににじみ出ているとは言えまいか。
今、栄光のカンプノウのピッチに乱舞したヒーローたちは、ほぼ全員ちりぢりに去ってオールド・トラッフォードの過ぎ去りし伝説となった(ちなみに、スコールズは当時出場停止で不在、ギャリー・ネヴィルは長引く故障で復帰の目途がいまだはっきりしない)。
スールシャールは紛れもなく、その哀しみと苦い後味を、ちょうど増える白髪のように身にまとい、“デッドリー(恐るべき)”スーパーサブという“不確かな称号”に、実は忸怩(じくじ)たる思いを秘めながらも、黙々と切磋琢磨(せっさたくま)してきた。そして、いつ出番を命じられるかも分からない過酷な境遇は、想像に余りある負担とストレスを彼に課し、いつしか彼のキャリアの大半を故障との闘いに駆り立てることになった。
人生を変えた言葉
「ぼくなりの意見はもちろんあるさ。ただ、それを公の場で話すわけにはいかない」
5年前のベッカムのときも、彼は同様の反応をした。オーレ、ベックス(ベッカムの愛称)、クリスティアーノ――スキル、プレースタイル、生き方、処遇、“華”のどれを取っても三者三様にまったく異なるこの3人のスターと、それぞれのユナイテッド人生をあらためて比較検討してみれば、何らかの発見、示唆もまた生まれてくるだろう。一つだけ確実に言えることは、オーレだけは常に“一歩身を置いて考えられる”場所にいたということではなかったか。
また、スールシャールには一度だけ、その後の人生を180度変えたに違いない“幻の転機”が舞い降りたことがある。98年の夏、スパーズ(トッテナムの愛称)の移籍申し入れに動揺し、真意を問い質そうと監督を訪れた彼が耳にしたのは、「嫌だね。私は君にいてほしい。それだけだ」というファーガソンの断固たる一言だったという。そして、オーレは「それですべてが吹っ切れた」。
その意味で、ベイビーフェイス・アサシン(乳飲み子の顔を持つ刺客)こと、オーレこそが、最もファーギーズ・ベイブらしいファーギーズ・ベイブと呼ぶにふさわしいのかもしれない。誰よりもサー・アレックスの寵愛(ちょうあい)を受けながら、フットボーラーズ・キャリアとしては必ずしも満たされ続けたとは言えない彼にこそ、ファーギーズ・ユナイテッドの“すべて”が凝縮されて宿っている――そんな気がしてならない2008年の8月である。