中村礼子、自分を信じて勝ち取ったメダル=競泳

萩原智子

2分7秒13の日本新で銅メダルを獲得した、女子200メートル背泳ぎの中村礼子選手=16日、国家水泳センター 【共同】

 自分のレース展開に迷い続けてきた26歳は、北京五輪の大舞台で、目指し続けた理想のレースを見せました。中村礼子選手は、アテネ五輪に続き、女子200m背泳ぎで2大会連続の銅メダルを獲得。タッチしてから電光掲示板を見つめる彼女の目には、涙があふれていました。中村選手にとって、この4年間は試練の連続でした。

水泳をやめたいとまで思い悩んだ日々

 2006年のパンパシフィック選手権以降、積極的なレース展開ができずにいた中村選手。彼女自身も思い描いたレースができず、いら立っていた時期がありました。自分に何が足りないのか、何をすべきなのか――水泳をやめたいとまで思い悩み、家族会議まで開きました。

 アテネ五輪で銅メダルを獲得した200m背泳ぎでは、この4年間で世界の記録が急激にアップしました。世界のトップで争う中村選手は、その高速化の流れに焦りを感じていたのです。そのため、高速レースに対応するため、スピード強化に着手してきました。
「今までのフォームでは、絶対的なスピードが上がらない」と判断した中村選手は、腕の動きを改革。今までは入水し、脇を開き、体の後ろ側で水をつかみ、プールの底へ向かって水を押していました。その腕の泳ぎを、入水してから、脇を閉め、体の前で水をつかみ、足の方向へ向かって押す動きに変えたのです。これで腕の力が水に伝わりやすくなり、上体が安定しました。よりいっそう体が水の上に浮かび上がる様になり、世界と対等に戦えるスピードも得ることができたのです。

最高の集大成となった北京五輪

 しかし高速レースについていくにも、勇気が必要です。後半にペースが落ちたらどうしようと、選手はレース前、不安と闘わなければなりません。そんな中、中村選手は「最後の50mを意識していた」と落ち着いていたようですが、実際は前半100mの折り返しで、今までのレース展開としては考えられないタイム(1分02秒11)で折り返しました。この五輪の大舞台で、課題としていた積極的なレースができたのです。

 本番でやってきた練習の成果を出すことができるのは、ほんの一握りの選手だけ。中村選手は、やってきたことは間違いではないと、最後のタッチの瞬間まで自分を信じる心を持ち続けました。選手は応援してくれる人たちの思いを心に留め、レースに向かいます。しかし、泳ぐときは一人です。スタート台へ立った時に、誰も助けてはくれません。そのとき信じられるのは、自分自身です。最後の最後、極限の緊張感の中で助けてくれるのは、自分を信じる強い心です。

 中村選手はこの4年間で、どんな状況でも、どんな環境でも勝負してきました。何が起こっても動じない強さを手にした彼女は、北京五輪でベストパフォーマンスをしました。中村選手にとって、北京五輪は最高の集大成となったはずです。

<了>
  • 前へ
  • 1
  • 次へ

1/1ページ

著者プロフィール

2000年シドニー五輪200メートル背泳ぎ4位入賞。「ハギトモ」の愛称で親しまれ、現在でも4×100メートルフリーリレー、100メートル個人メドレー短水路の日本記録を保持しているオールラウンドスイマー。現在は、山梨学院カレッジスポーツセンター研究員を務めるかたわら、水泳解説や水泳指導のため、全国を駆け回る日々を続けている

新着記事

編集部ピックアップ

コラムランキング

おすすめ記事(Doスポーツ)

記事一覧

新着公式情報

公式情報一覧

日本オリンピック委員会公式サイト

JOC公式アカウント