さらばトルネード 野茂英雄が現役引退を表明 日米通算201勝 日本人大リーガーのパイオニア

吉川秀和

19年の現役生活に幕

日本人大リーガーのパイオニア、野茂英雄が現役引退の意思を表明 【Getty Images/AFLO】

 日米球界で“トルネード旋風”を巻き起こした野茂英雄投手が、ついにユニホームを脱ぐことになった。米大リーグで2度のノーヒット・ノーランを達成するなど、日米通算201勝(155敗・1セーブ)を挙げた日本人大リーガーのパイオニア的存在が、現役を引退する意思を示した。

 野茂は17日、関係者を通じて「まだまだやりたい気持ちが強いが、プロ野球選手としてお客さんに見せるパフォーマンスは出せないと思う」と、引退の意思を伝えた。

 野茂は大阪府出身の39歳。1988年のソウル五輪に日本代表として出場し、銀メダル獲得の原動力となった。90年に新日鉄堺からドラフト1位で近鉄バファローズ(現オリックス・バファローズ)に入団。1年目に18勝を挙げ、最多勝利を初め、最優秀防御率、最高勝率、最多奪三振など投手主要部門のタイトルを独占したほか、最優秀選手、沢村賞、ベストナイン、新人王と計8冠を獲得した。

 ゆったりと大きく振りかぶってから打者に背中を向ける独特の投法は、一般公募により「トルネード投法」と命名され、速球と落差の大きいフォークで三振を次々と奪っていくピッチングで“ドクターK”の異名も取った。

 近鉄在籍時の5年間には78勝46敗1セーブを挙げ、入団から4年連続で最多勝と奪三振王に輝いた。

大リーグで2度のノーヒット・ノーラン

 95年には近鉄を退団して渡米し、ドジャースに入団。64、65年の村上雅則投手(当時ジャイアンツ)に次ぎ、日本選手として2人目の大リーガーとなった。オールスター戦では日本人投手として初めて先発投手も務めた。大リーグ1年目には13勝をマーク。その年のナショナルリーグの奪三振王と新人王にも選ばれた。全米でも“NOMOフィーバー”を巻き起こした。
 また、2001年に在籍したレッドソックスでは、2度目のノーヒット・ノーランも記録。同年は220個の三振を奪い、奪三振王のタイトルを獲得した。

 しかし、06年に右ひじを故障して手術を受け、06と07年はメジャーでの登板機会はなかった。それでも現役を続けた野茂は、ことし春に米国8球団目となるロイヤルズのキャンプにマイナー契約の招待選手として参加。開幕直後に3年ぶりのメジャー昇格を果たした。4月16日(現地時間)のマリナーズ戦では、2番手として登板し、イチローを空振り三振に切って取った。

 だが、今季は中継ぎとして3試合に登板したのみで、4回1/3を投げて3本塁打を含む10安打9失点、防御率18.69と好結果を残せず。4月18日の登板を最後に、マイナーに降格されると、4月20日に戦力外通告され、自由契約選手となっていた。米国での成績は、123勝109敗。

 その後、日本球界でも最終的に獲得に踏み切る球団はなく、ことし8月に40歳を迎える直前に、19年におよぶ現役生活についに幕を下ろすことになった。
 ドクターKが日米で奪った三振の総数は「3122」。確かな足跡と偉大な記録を残し、パイオニアは静かにマウンドを去ることになった。

<了>
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