タカの大砲・多村仁、見え始めた復活への光

田尻耕太郎

多村を襲ったアクシデント

 右足はまだ痛い。しかし、バットを振り始めた。キャッチボールも行っている。多村仁が復活に向けて歩み始めた。
 悪夢に襲われたのは4月25日の千葉ロッテ戦(ヤフードーム)だった。多村はこの日センターを守っていた。3回、左中間への浅いフライ。捕れる、と判断した多村は猛然と突っ込んだ。それはレフトを守っていた長谷川勇也も同じだった。「OK!」と声を出したが、聞こえてきたのもやはり「OK!」。2人は激突し、ボールはそのまま外野を転がった。起き上がってボールを追おうとした多村だったが、1歩目を踏み出したときに「バキッ」という音がした。右足(腓骨)を骨折した音だった。

今季グラウンドに立つために

 あれから2カ月以上が過ぎた。多村は「ようやく“光”が見え始めた」と言う。
「2週間ごとにレントゲンを撮っているんですが、骨折してから1カ月は全く骨がくっついていなかった。1カ月半たったころにようやく白いもやのようなものが見え始めて、6月の終わりになって再生がだいぶ確認できるようになってきました」 
 7月2日、2軍戦が中止となりホークスのファームは西戸崎室内練習場で練習を行った。「まだ走るのがちょっと」と言う多村は別メニューだったが、ティー打撃を行うなどして汗を流した。そのティー打撃で多村はちょっとした工夫をしている。
「1.2キロのバットを使っているんですよ。1カ月以上もバットを置いていて久しぶりに振ったバットがこれ。人間の頭は不思議なもので、この重さが当たり前と思っちゃう。もっと練習のレベルが上がったときに通常のバットに戻したら、ものすごく軽く感じてビュンビュン振れるはずですよ」
 すべては、今季グラウンドに立つために。
「ことしグラウンドに立つ気がないなら練習しないで、マッサージばかりやっていますよ(笑)。今はとにかく1日でも早くグラウンドに立ちたい」
 先日、王貞治監督は「ことしの勝負どころは9月。そのころには多村も戻ってくるだろう」と話していた。果たして復帰はいつになるのか。
「僕も9月にはグラウンドに立ちたいと思っています。でも、目標は8月。結果的に9月になるかもしれないけど、初めから9月を目標にすると間に合わない。目標設定は高めの方がいい」
 現在(7月3日)、ホークスは今季ワーストの5連敗中。1イニングに2点以上を取れないのが69イニングも続いたこともあった。“タカの大砲”が戻る日が本当に待ち遠しい。

<了>
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著者プロフィール

 1978年8月18日生まれ。熊本県出身。法政大学在学時に「スポーツ法政新聞」に所属しマスコミの世界を志す。2002年卒業と同時に、オフィシャル球団誌『月刊ホークス』の編集記者に。2004年8月独立。その後もホークスを中心に九州・福岡を拠点に活動し、『週刊ベースボール』(ベースボールマガジン社)『週刊現代』(講談社)『スポルティーバ』(集英社)などのメディア媒体に寄稿するほか、福岡ソフトバンクホークス・オフィシャルメディアともライター契約している。2011年に川崎宗則選手のホークス時代の軌跡をつづった『チェ スト〜Kawasaki Style Best』を出版。また、毎年1月には多くのプロ野球選手、ソフトボールの上野由岐子投手、格闘家、ゴルファーらが参加する自主トレのサポートをライフワークで行っている。

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