新しいフランスが進む道=ユーロ敗退、その後

木村かや子

ドメネク続投か、デシャンで新スタートか

フランス代表の次期監督、最有力候補と言われているディディエ・デシャン 【Getty Images/AFLO】

 しかし、すべては後の祭り。今、最も重要なのは、誰が2010年W杯を目指す代表の監督になるか、という問題である。ドメネクは残留を強く希望しているが、敗退直後に行われたスポーツ専門の全国紙『レキップ』の世論調査では、ドメネク残留を支持する者はわずか15%で、83%が解雇を要求し、2%がノーコメント。一方、『パリジャン』紙が27日に発表した世論調査では、彼の残留を望む者は25%だった。反対にドメネクの能力に関しては、56%が「勇気がある」と答えるなど、好意的な意見もある。現在、次期監督の有力候補と言われているのは、1998年W杯チャンピオンチームの主将だった、ディディエ・デシャンである。

 選手のときからピッチ上の監督だったと言われるデシャンは、モナコの監督としてエブラ、ロテン、ジウリー、ジベらを中心に若いチームを築き、チャンピオンズリーグ決勝進出を果たして一躍名を挙げた。しかし、やはり選手の好き嫌いが激しいデシャンは、就任当時主力だったマルコ・シモーネら、気に食わない選手をつぎつぎと売り払い、後に負けが込み出したときには選手を「無能」呼ばわりして内部分裂を引き起こしていた。揚げ句の果てには、「モナコはビッグ・クラブではない」と正直に言い過ぎてアルベール王子の逆鱗に触れ、クラブを去ることになったのである。

 そう、デシャンはドメネク以上に自分の思い通りにやらなければ気が済まないタイプ。ユベントスでの任期もセリエA昇格を遂げるまでの1年で終わったが、イタリアの記者によれば、それは「あまりに頑固で融通がきかな過ぎ」、クラブ幹部と衝突したためだったという。失業期間中にいくぶんマイルドになった可能性もあるが、まだ若く血気にはやった彼が、スター選手でいっぱいの代表を、その姿勢でうまく導くことができるだろうか、という心配は残る。

 そのせいもあってか、やや意外なことに現役の代表選手たちは、その多くがドメネクの残留を支持している。前述のインタビューの中で、「ドメネクは続投すべきか」と聞かれたビエイラは「ああ、そう思う」と答えた。「僕は継続性の方を指示したい。今回失敗したからといって、すべてを窓から捨てて、ゼロから始めなければいけないということにはならない」

 ビエイラの後に口を開いたリベリーも、「ドネメクは去るべきではない」と意見している。「個人的に、僕は監督となんの問題もなかった。僕の意見では、ドメネクは去るべきじゃない。このチームとともに仕事を続けるべきなんだ。もしミスがあったとしても、監督だけの責任じゃない。正直に言って、僕は彼に残ってほしいと思う」

 最後にサニョルも、継続性の重要さを強調していた。「いい世代がいるので、敗れたことは残念だ。でも98年のチームは、94年の失敗の上に築かれた。2008年の経験が、この世代が2010年に奮起する助けとなることを祈る。監督は有能だったと思う。2年前にもそうだったんだから、彼がほかの者以上に今大会の責任を負っているとは思わない」

ジダンら栄光の98年組の意見は?

 反対に、すでに引退した98年組は、こぞってデシャンを押している。2006年W杯の時も明らかにドメネクと馬が合っていなかったジダンは、早々に「理想のイレブン? それは新監督に聞かないと」と“失言”。その後、「デシャンの登用は正しいと思う。7月3日に決まるが、もし監督が変わるならデシャンは適任だ」とコメントした。

 一方、いまや解説者となったやはり元世界チャンピオンのクリストフ・デュガリーは「ドメネクは信じられないほど傲慢(ごうまん)だ。いつも勝手にワンマン・ショーをやっている」と歯に衣(きぬ)を着せなかった。
「ドメネクには才能も知性もない。もしジダンがテュラム、マケレレとともに復帰していなかったら、彼のキャリアはとっくの昔に終わっていたんだ。もはや彼は、私やフランス・サッカーの目を欺くことはできない。彼に同情しようと思っても、もう無理だ。ドメネクについて、ポジティブな点はひとつも見つけられない」
 ここにリザラズ、カランブーも加わり、こうして栄光の98年チャンピオンたちは今、手を取り合って“デシャン応援団”と化している。

 なお、今季ボルドーとともに成功を収め、断固としながらもデシャンより落ち着きのあるローラン・ブランの名も挙がっているが、あいにく彼はボルドーとの契約下にあり、監督としてチャンピオンズリーグ初挑戦という大任に臨まんとしているところだ。ユーロ2004後に監督候補に挙がったとき、ジダンを含むベテラン選手たちから絶大な支持を受けていたブランだが、当時は監督経験がまったくなかったため、結局選ばれずに終わっていた。

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著者プロフィール

東京生まれ、湘南育ち、南仏在住。1986年、フェリス女学院大学国文科卒業後、雑誌社でスポーツ専門の取材記者として働き始め、95年にオーストラリア・シドニー支局に赴任。この年から、毎夏はるばるイタリアやイングランドに出向き、オーストラリア仕込みのイタリア語とオージー英語を使って、サッカー選手のインタビューを始める。遠方から欧州サッカーを担当し続けた後、2003年に同社ヨーロッパ通信員となり、文学以外でフランスに興味がなかったもののフランスへ。マルセイユの試合にはもれなく足を運び取材している。

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