記録以上に記憶に残るユーロの大逆転劇
最初の大逆転は1976年、当時のユーロ(欧州選手権)は準決勝から1カ国開催となり、ユーゴスラビア(当時)で行われた。ベッケンバウアー、フォクツ、ボンホフと74年ワールドカップ(W杯)優勝のヒーローがそろっていた西ドイツ(当時)と準決勝で対戦したのは、地元のユーゴスラビアだった。ジャイッチ、シュルヤク、ポピボダを擁するユーゴスラビアのアタッカー陣らは、この国の持っていた才気を爆発させて前半を2−0でリードした。ところが、西ドイツはフローエの1点とディーター・ミュラーのハットトリックでひっくり返してしまった。しかしその3日後、西ドイツは決勝戦でチェコスロバキア(当時)にPK戦で敗れることになる。語りぐさになったパネンカのループPKで。
84年大会はデンマーク。初戦でフランスに敗れたが、この時期のデンマークは最もはつらつとしていたものだ。この大会のフランスに勝つことは途方もなく困難だった。第3戦目で、デンマークは39分までベルギー相手に0−2のリードを許していた。この後、寝ていたデンマーク人が突然飛び起きて、アルネセンのPKを口火に3−2で逆転勝利を収めた。準決勝に進んだデンマークはスペインにPK戦で敗れたが、“ダニッシュ・ダイナマイト”のニックネームで呼ばれるようになった。
一方、そのスペインを決勝で破ったのはフランスだが、準決勝はポルトガルに大苦戦を強いられていた。名手シャラーナに率いられたポルトガルは、1−1で延長に突入するとジョルダンのゴールで2−1。しかしフランスは、最後の6分間でドメルグ、プラティニがゴールして逆転勝利を飾った。プラティニの逆転ゴールをお膳立てしたのは、こん身の長距離ドリブルと絶妙の折り返しを成功させたジャン・ティガナだった。試合が2時間を超えた時点での超人的なプレーに、ティガナは走りながら2年前のW杯準決勝の西ドイツ戦を思い出していたという。延長、PK戦で敗れたゲームだ。「もう一度あんなことになったら、もう生きていけない」と。
88年大会の準決勝はオランダ対西ドイツ。74年W杯のファイナル再現だった。西ドイツはマテウスのPKで先制したが、オランダはクーマンとファン・バステンの2得点で14年前のリベンジを果たした。その後、ファン・バステンはユーロ史上最も美しいボレーを決勝の舞台で決めソビエト連邦(当時)に勝利、オランダに初優勝をもたらした。
パネンカのPKから20年、96年大会のユーロ決勝でチェコはドイツと決勝で相まみえた。ベルガーのPKでチェコが先制したが、ドイツは73分にビアホフが同点ゴールを決める。そして、95分に再びビアホフが決めて2−1。この大会の規定によるゴールデンゴールでの決着だった。20年前、ベオグラードで敗戦を喫した敵を、ロンドンの舞台でリベンジを果たしたドイツにとって、東西統一後の初のタイトルであった。
2000年大会のファイナルは、ユーロ史上で最大の逆転劇だろう。55分にデルベッキオのゴールで先制したイタリアは、残り数秒でフランスを下して優勝するところだった。フランスのウィルトールのゴールが決まって試合は延長に突入するのだが、ベンチのイタリア人たちはすでにはしゃぎまわっていて、アンリに「座れ!」と注意されていたぐらいなのだ。延長では、疲れ切ったアルベルティーニを抜き去った途中出場のピレスがクロスを入れ、トレゼゲのゴールデンゴールがネットに突き刺さった。
04年大会では、準々決勝でチェコが0−2からオランダに逆転勝利。チェコのサッカー史上でも語りぐさとなるゲームである。ボウマ、ファン・ニステルローイの得点でオランダが2−0とリードしていたが、その後チェコが盛り返して“巨人”コラーと大会得点王になるバロシュのシュートが決まって2−2に。最後は88分にスミチェルがゴールを決めて3−2と試合をひっくり返した。チェコは準決勝でギリシャに0−1で敗れて姿を消したが、オランダ戦の思い出がファンの心から消えることはない。
そして今年、逆転チームの常連であるチェコに対して、トルコが信じがたい逆転を演じてグループリーグを抜けた。こうした逆転劇の数々は特別な感情を残していく。トルコのファティム・テリム監督の言うとおりだ。
「愛と祝福をトルコに送りたい。さあ、外へ飛び出せ! 祝うんだ、この感情を共有しよう、さあ外へ飛び出せ」
トルコは人々の記憶に残るゲームを戦った。それはどんな記録よりも重要なことである。
<了>
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