報徳学園高・近田、試練の先の輝ける場所
昨夏の甲子園以降、近田を襲う試練
報徳学園高のエース・近田。次々に襲ってくる試練を乗り越え、再び甲子園のマウンドに立てるか 【島尻譲】
昨夏の甲子園。マウンドには苦痛の表情を見せる近田の姿があった。初戦の青森山田高戦で1点を失ったあとの7回、近田はマウンドを降りた。熱中症だった。チームも0対5と敗戦。
「精神的に成長してもう一度戻ってきます」
試合後、涙を拭いながらインタビューに答えた近田。しかし、これは苦しみの序章に過ぎなかった。
新チームになって迎えた秋になっても、「ピッチングをしても球がどこへ行くか分からない。右打者に対して全然投げられない」という状態が続いた。夏の後遺症は想像以上のものだった。右腕・岡田大裕(3年)らの奮闘でチームは近畿大会まで勝ち上がったが、近田の背番号は「3」。平安高(京都)との初戦、近田はブルペンで準備したが、投手としての出番はなく、最後の打者となり敗戦。3季連続の甲子園出場を逃した。
「自分が投げられる状態だったら違った結果になったかもしれない、という気持ちは正直あります。あの時は投げられただけで良しという状態でした」と当時を振り返った近田に対して、永田裕治監督も「将来のある子ですから」と無理をさせなかった。
その後、「11月から12月にかけて全く投げなかった。肩を使わなかったのが大きかった」という一冬を越して、ことし3月に近田は再びマウンドに戻った。だが、試練はまだ終わらなかった。4月の春季県大会地区予選では準決勝で甲南高に敗退。先発した近田は3失点で敗戦投手になった。「またか」の思いがよぎった。16年ぶりに県大会に進めなかった報徳学園高も今夏はノーシードからとなった。
再び甲子園のマウンドに立つために
最後の夏に復活を期す近田。その表情は練習中も明るい 【島尻譲】
「あの試合が大きかった。きっかけみたいなものをつかんだ気がします。1年のころの良かったときの状態をやっと思い出してきたような感じでした」
完封という結果とともに、夏に向けてようやく手応えを感じることができたマウンドだった。
「(夏に)間に合ったから言えるのかもしれませんが、今思えばいい壁だったのかな。表面では明るく振舞っていたけど、野球をしているのが辛いと思ったこともありました。今は、悪い部分は全部出たと思えるようになった」
昨夏の甲子園以降、苦しんできた1年を近田はそう振り返った。そして、
「今はいいイメージで投げることだけを考えています。調整とかではなく、1日ずつ状態が上がっていけばいいですね。夏は甲子園に出るのはもちろん、甲子園で負けないピッチングをしたい」
と昨年以来、3度目の甲子園へ向けての抱負を口にした。
再び輝ける場所に戻るために――近田はマウンドに上がる。
■近田怜王/Reo Chikada
1990年4月30日生まれ。兵庫県三田市出身。176センチ、82キロ。左投左打。つつじが丘小2年から野球を始める。報徳学園中時代は三田シニアに所属し、3年夏には全国大会ベスト4に進出した。日本代表のメンバーとして臨んだ世界大会で4位。報徳学園高では1年秋からベンチ入りし、2年時にはエースとして春夏と2季連続甲子園出場を果たした。左上手から最速147キロのストレートを投げる本格派
<了>
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