F・トーレス、途中交代の裏にあるもの=スペイン 4−1 ロシア

小宮良之

スナイパーが抱える葛藤

ロシア戦で54分にセスクと交代するトーレス 【Getty Images/AFLO】

 空にはどんよりとした雨雲が立ちこめ、雷鳴は何かの前兆のようだった。
「恐るべきベイビー」。超人的得点センスと童顔からそう畏怖(いふ)される背番号9は、自陣深くからたてパスを受けると、まるで雷神のごとく走り出した。左サイドに流れ、右アウトサイドでボールを巧みにコントロール。緩急の変化でマーカーを翻弄(ほんろう)するドリブルは彼の真骨頂だった。完全に敵DFを籠絡(ろうらく)すると、GKも巧妙に誘い出した。自分でもフィニッシュできなくはなかったが、彼は真横から走り込んでいたダビド・ビジャにラストパス――。
 ユーロ(欧州選手権)2008初戦、前半20分、スペインの先制点が決まった。

 4−1。彼のプレーは痛快な快勝劇につながったわけだが、その日、ヒーローになることはできなかった。“お立ち台”は2トップの相棒で、先制点を含めて3得点を記録したビジャ。当の彼はノーゴール、監督から落第点を付けられるかのように後半54分、交代を命じられたのである。
 呻(うめ)くスナイパー。
 スペイン代表の9番、フェルナンド・トーレスは大会の主役になれるのか。

エゴイストの執着心

 8年ほど前の記憶。
 その日、ゲームは後半に突入していた。交代でピッチに入ったばかりの少年はあどけなさを残す表情で、ほっぺたには若さの象徴のようなそばかすがあった。背は高いが体型は華奢(きゃしゃ)。だが手足だけは異様に長く、その目は爛々と輝いていた。「止められるものなら止めて見ろ」と不敵に。
 当然、歴戦のベテランDFたちは“若造に目に物見せてくれん”と激しく削りに行ったが、彼はそれをしなやかな体の動きで軽やかにかわした。すかさず、右足をゴルフのドライバーのように振り抜き、球体は空気を切り裂くようにゴールへ。シュートは惜しくも外れたが、試合後、DFは開いた口がふさがらなかった。
「体の中にいくつものギアが搭載されていて、一気にローからトップにギアが入り、置き去りにされた。とんでもない緩急の差だった」
 ミニバンがF1マシンに対抗するようなものだと。

 当時17歳だったフェルナンド・トーレスのプロデビュー。数万人の人々が人生の喜びに出会えたように、心の底から拍手喝采(かっさい)を送り続けていた。筆者は偶然に、そして幸運にもその場に立ち会うことができたのだった。ある専門誌の取材、「2部であえぐ名門アトレティコ・マドリー」のような取材をしていたときのこと。トーレスは、「アトレティコの将来を担う」と嘱望されていた。
 実は、チームは昇格に失敗し、もう1シーズン、2部での戦いを余儀なくされることになったが、この状況が若い彼には幸いした。1部昇格を決めていれば、クラブは大物外国人FWを獲得していたはずで、トーレスはスタメンを確保し、実戦の中で急成長を遂げることはできなかったかもしれない。彼はゴールを積み重ね、期待のルーキーから頼りになるエースに変貌(へんぼう)を遂げた。

 ゴールゲッターとしての気の強さを物語るのが、PKにまつわる逸話だ。アトレティコ時代、ルーキーにもかかわらず、先輩FWからPKキッカーの座を強奪。「俺に蹴らせろ」。彼は迷いもなく言った。当然、先輩FWとしては「ふざけるな」という心境になり、ピッチで押し問答になることもあった。それでも少年はかたくなに詰め寄ったという。
 ゴールへの限りない執着。
 そのエゴイズムは、十代で果たした代表デビュー戦でも現れた。
 彼は“ひよっこ”だったにもかかわらず、エチェベリアが奪ったPKをラウル、バラハというPKスペシャリストたちを押しのけて蹴った。そしてあろうことか、これを外した。試合後、反省の弁を引き出そうと記者たちに問い詰められた時の返答が、また堂に入っていた。
「代表初ゴールを決めるためになんとしてもPKを蹴りたかった。得点は決められなかったわけだけど、それほど大騒ぎすることでもないさ。重要なのは勝ったこと。次の代表メンバーに入ることを楽しみにしているよ」
 大物はアトレティコでも、代表でも得点を積み重ねるようになった。
 しかしいつしか、ゴールのエゴを持て余すようになっていたのである。

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著者プロフィール

1972年、横浜市生まれ。2001年からバルセロナに渡り、スポーツライターとして活躍。トリノ五輪、ドイツW杯などを取材後、06年から日本に拠点を移し、人物ノンフィクション中心の執筆活動を展開する。主な著書に『RUN』(ダイヤモンド社)、『アンチ・ドロップアウト』(集英社)、『名将への挑戦状』(東邦出版)、『ロスタイムに奇跡を』(角川書店)などがある。

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