融合なった北陸の雄=宇都宮徹壱のJFL定点観測
武蔵野、ついに首位から陥落
コーナーキックからゴールを狙う武蔵野(青)の選手たち。3連敗だけは何とか避けたいところ 【宇都宮徹壱】
自分では、日本代表もJFLも同じくらいに興味深い取材対象だと思っているのだが、なにぶん不器用な人間ゆえ、なかなかに気持ちの切り替えが難しい。それでも、今月が「代表月間」になることは最初から分かりきっていたので(オマーン、タイへのアウエー2連戦も控えている)、何としてでも今節の武蔵野の試合は見ておきたかった。幸い、この日の天気は快晴。スタジアムに到着すると芝生席では、初夏の日差しの下、何人かの観客が日光浴をしているのが見えた。「すべてか、無か」という代表戦に比べて、何とほほえましい光景であろうか。
さて、前節までのおさらいをしておこう。
第11節まで無敗で首位をキープしていた武蔵野であったが、続く第12節でMIOびわこ草津に0−1で今季初の敗戦を喫してしまう。続くHonda FCとのアウエー戦にも0−1で競り負け、ついに3位に転落。第13節までの上位陣は、1位Honda、2位栃木SC、3位武蔵野、4位ファジアーノ岡山、5位びわことなっている。
「守備は堅いが、ここぞという場面で得点がない」。今季の武蔵野の戦いを一言で表すと、こうなるだろう。ここまで失点が一ケタの「9」というのは、もちろんリーグ最小。ただし得点「18」は、下から数えて8番目(全18チーム)である。2点差で勝利した試合は2度だけあるが、あとは1点差か同点で、ここまで地道に勝ち点を積み重ねてきた。今季のJFLは、スーパーなチームは存在しない。だからこそ、地味ながらも確固たるチーム戦術が浸透していた武蔵野が、リーグ戦の3分の1の時点で首位をキープすることができた。
だが、ここに来て「元祖・門番」とでもいうべきHondaが浮上してきたことで、ようやく順位表にもチーム力の濃淡が反映されるようになった。とはいえ、武蔵野としてもホームでの3連敗は何としても阻止したいところ。この日の相手は、現在9位のカターレ富山である。
企業チームの合併で生まれたカターレ富山
武蔵野陸上に集結した富山のサポーター。サツバツ度皆無の、なかなか気持ちのよい応援でした 【宇都宮徹壱】
アローズもYKKも、富山が生んだ伝説的な企業チームであった。
アローズは1990年に北陸電力サッカー部としてスタートし、10年後の2000年にJFLに昇格。一方のYKKは、1962年に創部。北信越リーグ初年度の75年のシーズンから参戦して見事優勝するも、当時は全国地域リーグ決勝大会はなかったので、2000年までの四半世紀、ずっと北信越リーグに居座り続けた(その間、アルビレックス新潟がJリーグ入りを果たしている)。01年より晴れてJFLに昇格すると、同郷のライバル・アローズとの「富山ダービー」で盛り上がる。とりわけ、天皇杯での県代表を巡る対戦はし烈を極め、富山の代表といえばアローズかYKK。過去12大会では、前者が7回、後者が5回、それぞれ全国へのチケットを手にしている。
決して「サッカーが盛ん」とは言い難い富山の地において、アローズとYKKは、いずれもJFLという全国リーグにおいて中堅以上の地位を保ってきた。05年はアローズが3位、YKKが2位となり、以後も両者共に一ケタの順位をキープし続けていた。こうなると「2つまとめて最強チームを作って、Jに打って出よう」という発想が生まれるのは必定。いずれも企業チームゆえに、水面下での紆余曲折(うよきょくせつ)があったことは容易に想像できるが、昨年に富山県サッカー協会の主導により、両者は合併を発表。ここにカターレ富山が誕生する。
私自身、アローズもYKKも天皇杯では観戦しているのだが、「カターレ富山」となってからは全くの初見。それだけに、どんなチームなのか楽しみであったのだが、第一印象は「アローズ+YKK連合軍」にほかならなかった。ユニホームの胸ロゴは「YKK AP」で、背中は「北陸電力」(練習着はその逆)。スタメン表を見ると、選手の前所属はYKKが6名、アローズが5名となっていた。
今季のカターレ富山のキャッチフレーズは「融合、そして躍進! CHALLENGE“J”」なのだそうだ。すでにJリーグ準加盟の資格は得ている。が、JFLの強豪を合併させて、すぐに強いチームが生まれるほどサッカーは単純なものではない。いみじくも、彼らの現時点での順位が、それを示していると言えよう。