新生アズーリ苦難の船出 ホンマヨシカの「セリエA・未来派宣言」

ホンマヨシカ

W杯決勝の相手フランスに完敗

グランデインテルを築いた名選手であり、インテルの会長だったファケッティががんのために死去した 【(C)Bozzani】

 リトアニア戦から4日後にパリで行なわれたフランス戦でドナドーニが選択したスタメンはこうだ。GK:ブッフォン、DF:右からザンブロッタ、カンナバーロ、バルツァッリ、グロッソ、MF:右からセミオーリ、ガットゥーゾ、ピルロ、ペッロッタ、FW:カッサーノ、ジラルディーノという4−4−2の布陣。
 W杯決勝に出場した選手はブッフォン、ザンブロッタ、カンナバーロ、グロッソ、ガットゥーゾ、ピルロ、ペッロッタの7選手で、対してフランスはGKのクーペとMFのゴブーを除いた9人がW杯決勝に出場したメンバーだ。

 リトアニア戦同様、フランス戦でも開始早々から押し込まれた。相手がリトアニアでは立ち上がりの悪さがすぐに相手ゴールに結びつくことはないが、相手がフランスとなれば話は違う。開始2分、カッサーノが失ったボールからゴール前に攻め込まれ、ゴブーに先制点を許してしまった。VTRで見るとこのゴールはオフサイドのポジションにいたギャラスのクロスから生まれたものだが、そんなことよりも、フランス選手のスピードにイタリア人選手が全くついて行けない状態が問題だった。
 前半18分に早くもフランスの2点目が訪れる。ペナルティーエリア外からマルーダが放った強烈なシュートはブッフォンがからくもセーブ。しかし、はじかれたボールを左サイドからアンリがシュート。ボールは、クリアしようとしたカンナバーロの足に当たり、ブッフォンの逆を突いてイタリアゴールに吸い込まれた。

 このままフランスの一方的な試合になるかと思われたが、その3分後の前半20分にピルロが蹴ったFKにジラルディーノがヘッドで合わせて1点差に詰め寄った。
 後半は、前半を1点差で折り返したイタリアの反撃に期待したのだが、後半10分に再び2点差となるゴールをゴブーに決められる。試合はそのまま3―1のフランス勝利で終了した。

 この試合でのイタリアの敗因としては、リトアニア戦で好プレーを見せたカッサーノがフランスディフェンス陣に完ぺきに抑えられたこと、相手サイドをえぐるプレーを求められた右サイドのセミオーリがまったく効果的なプレーを見せられずに対峙するアビダルに完ぺきに抑えられていたことなどが挙げられる。だが、最も大きかったのは、リトアニア戦同様に、対戦国とのコンディションとモチベーションの差だった。
 この敗戦でイタリアのユーロ予選突破の可能性が危うくなったとは思えないが、予選グループの最終戦まで苦しむことになりそうだ。

インテル会長ファケッティの死去

 ところで、フランス戦の前には9月4日にがんで亡くなったインテルの会長ジャチント・ファケッティの冥福を祈って1分間の黙とうが行なわれた。もちろん9月9日の土曜日から開幕するセリエAカンピオナートでも黙とうが行なわれる予定だ。
 ファケッティが不治の病に冒されているとは全く思ってもいなかった僕にとって、ファケッティ死亡のニュースは青天のへきれきだった。
 新聞の報道によると、6月半ばに半月盤損傷の手術を受けた時の検査でがんが見つかったらしい。
 昨シーズン、サンシーロスタジアムのミックスゾーンで普段と変わらない元気そうなファケッティを何度も見ていたので、今でも彼の死が信じられない。
 ただ、今から思うと、ファケッティの顔色が少し黄色っぽくて、今年の1月にがんで亡くなったイタリア人の知り合いが亡くなる数カ月前の顔色と似ていたように思う。

 ファケッティは、“世界最高の攻撃的フルバック”と呼ばれた現役時代から、誠実な性格と紳士的なプレー態度で常に若い選手の模範となっていたが、それは選手を引退した後も変わらなかった。
 インテルのオーナーであるモラッティがオーナー1年目に、自分の父親がオーナーだったころのスター選手(ファケッティ、マッツォーラ、スアレス、コルソら)で側近を固めた。このやり方は、「ただ単にグランデインテルと言われた強かったころのノスタルジーを呼び起こすだけで、インテルの将来を見据えた抜てきとは思えない」と批判を浴びた。モラッティは、その後にこれらのスター選手のほとんどを解任するのだが、ファケッティだけは手放さなかった。このことはファケッティがモラッティに上手く取り入ったのではなく、モラッティが誠実で決してでしゃばることのないファケッティを誰よりも信頼していたからだ。

 モラッティはオーナーのポストのままで会長職を辞任した時に、当時副会長だったファケッティを自分の後任に据えた。そのニュースを知った多くのマスコミは、「ファケッティは誠実だが、結局モラッティのイエスマンになるだけ」と冷ややかなコメントを残した。
 しかし、ファケッティは単なるイエスマンではなかったことをザッケローニ監督の解任劇の際に証明して見せた。モラッティは当初ザッケローニの監督残留を保証していたのだが、シーズン後半に心変わりをしてラツィオ監督だったマンチーニを新監督として迎えることを決定した。
 しかし、人間としての信義、ザッケローニとの約束を守ることの方を重んじたファケッティは、インテル会長の地位を手放すことにもなりかねない危険を承知で、ザッケローニを擁護する立場を最後まで崩さなかった。結局ファケッティの置かれた苦しい立場を察したザッケローニが引き下がったために丸く治まったのだが、ファケッティの誠実さと人間としての強さを証明したエピソードだった。
 ファケッティの死は、インテルやイタリアサッカー界だけではなく、世界のサッカー界にとっても大きな損失だと思う。
 享年64歳、合掌。

<この項、了>

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著者プロフィール

1953年奈良県生まれ。74年に美術勉強のためにイタリアに渡る。現地の美術学校卒業後、ファッション・イラストレーターを経て、フリーの造形作家として活動。サッカーの魅力に憑(つ)かれて44年。そもそも留学の動機は、本場のサッカーを生で観戦するためであった。現在『欧州サッカー批評』(双葉社)にイラスト&コラムを連載中

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