語り継がれる“黄金のサウスポー”=MLB名人物ファイル

上田龍

サンタナを超える左腕

現役ナンバーワン左腕として名高いヨハン・サンタナ 【 (C)Getty Images/AFLO】

 今オフ、現役ナンバーワン左腕、ヨハン・サンタナ(ツインズ)の去就が注目を集めている。メジャー実働8年間で93勝を挙げており、2004年以降は70勝32敗、防御率2.89、勝率は6割8分6厘となっている。4年で計983個の三振を奪う一方で、与四球は198個。傑出したスピードとコントロールを駆使し確実に勝ち星を計算できるエースだけに、その獲得には最低でも総額1億ドル(約113億円)以上の超大型契約が必要だといわれている。

 そのサンタナと同じ4年のスパンで、それ以上の数字を残したのが、1960年代中盤、ドジャースの大エースとして君臨していたサンディー・コーファックスである。63年からの4シーズンで、97勝27敗、防御率1.86、合計奪三振1228、与四球259、勝率7割8分2厘を記録。最多勝とサイ・ヤング賞を各3度、完全試合を含む4度のノーヒッターなど、登板のたびにレコードブックを書き換えるような存在であった。多くのファンは畏敬(いけい)の念をこめて、今なお彼を「黄金のサウスポー」、「史上最高の左腕投手」と呼ぶ。

 もちろん、単純な記録の比較だけに頼った優劣のつけ方には異論があるだろう。たとえばサンタナが1点以上上回っている防御率も、禁止薬物を使用した打者との対戦が影響しているかもしれない。だがコーファックスが投げていた当時のナショナルリーグには、ハンク・アーロン(ブレーブス)、ウィリー・メイズ(ジャイアンツ)、ロベルト・クレメンテ(パイレーツ)、アーニー・バンクス(カブス)ら、のちに殿堂入りを果たした大打者がずらりと顔をそろえており、彼らを相手にしながら、62年以降、5年連続でナ・リーグの防御率トップを守り続けた事実は、やはり無視できるものではない。

傑出していた素質

 コーファックスの傑出した素質は、ニューヨークのブルックリンで生まれ育った少年時代、すでにその片りんをのぞかせていた。
 高校時代は、バスケットボールで大活躍する傍ら、ブルックリンで盛んだった地域のアマチュア野球大会に投手として出場し、ノーヒッターも達成している。その試合、9回2死で最後の打者をツーストライクに追い込んだあと、豪速球が大音響とともに捕手のミットに吸い込まれるや否や、球審は「ストライクスリー、ゲームセット!」と宣告した。その判定に打者が「早すぎる。いったいどこに入ったんだ? 本当にストライクか?」と抗議すると、審判は「オレにだってストライクだったかどうかは分からんさ。でも、あのすさまじい音はストライクにしか聞こえなかったんだ!」と答えたという。

 高校卒業後、シンシナティ大学を経て、55年、コーファックスは当時ブルックリンが本拠地だったドジャースに19歳で入団。この頃のメジャーでは、入団時にボーナスが支払われた新人選手はメジャーの出場枠25人に登録される規定だったため、マイナーを経ずにドジャースのマウンドに立つことになった。ちなみに、そのあおりを受けてマイナー降格の憂き目にあった左腕投手が、のちにドジャース監督となったトミー・ラソーダだった。
 しかし、並外れた球速を持つ一方で、当時のコーファックスはまさに「天は二物を与えず」を絵に描いたようなノーコンで、デビューからの6シーズンで与えた四球は405個、与四球率5.27というすさまじさ。結局6年間で36勝40敗、通算防御率4.09と、当初の期待を完全に裏切る二流の成績しか残せなかった。

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著者プロフィール

ベースボール・コントリビューター(野球記者・野球史研究者)。出版社勤務を経て1998年からフリーのライターに。2004年からスカイパーフェクTV!MLB中継の日本語コメンテーターを務めた。著書に『戦火に消えた幻のエース 巨人軍・広瀬習一の生涯』など。新刊『MLB強打者の系譜「1・2・3」──T・ウィリアムズもイチローも松井秀喜も仲間入りしていないリストの中身とは?(仮題)』今夏刊行予定。野球文化學會幹事、野球体育博物館個人維持会員

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