「バリーの時代」がやって来た 東本貢司の「プレミアム・コラム」

東本貢司

イングランドにおける“左利きの才能”問題

ヴィラではすでにキャプテンマークを巻くバリー。イングランド代表でも近いうちにその日が来るだろうか 【 (C)Getty Images/AFLO】

 クリス・ワドル以来絶えて久しい“左利きの才能”問題は、ずっとイングランドを悩ませてきた。振り返れば1990年ワールドカップ(W杯)のチームには、ワドル以下、スチュアート・ピアース、ジョン・バーンズ、テリー・ブッチャーと、4人ものレフティーがいたのだ。
 だが、一方ではこんな意見もあった。「98年W杯、ユーロ2000のフランスチームに果たして純粋な左利きがいたかといえば、事実はそうではない。にもかかわらず、右利きのカンデラは左サイドバックをそつなくこなしたし、リザラズ、ジョルカエフ、ピレスもすべて“逆足サイド”で何の不都合もなくプレーしていた。左利きがいない不利など決して言い訳にはならない」(リザラズに関してはワドルが勘違いしているものと思われる)
 こう語ったのはほかでもない、ワドルその人である。さらにこれを受けて、ブッチャーは2000年当時のイングランドの問題点をこう指摘している。
「なぜ、スティーヴ・マクマナマン(当時レアル・マドリード)、ジェイミー・レドナップ(当時リヴァプール)、デニス・ワイズ(当時チェルシー)が左サイドでもうひとつピリッとしないのか。理由ははっきりしている。クラブチームでの彼らは、ほとんど右サイドでしかプレーしないからだ。レイ・パーラー(当時アーセナル)が代表で左サイドを受け持たされたときの不器用さを見ても、それがよく分かる。ニック・バーンビー(当時リヴァプール)に至っては、誰もが認める“両足使い”なのに、本人が右サイドにこだわって駄々をこねる自縛状態ではないか。われわれは頭から可能性を捨ててかかっているのだ」

 ワドルという必要以上にシンボライズされた“幻影”のせいなのか、以後のイングランドはひたすら利き足発想に凝り固まってきたようだ。キーガンもその例に漏れなかった。 グレイム・ル・ソー(当時チェルシー)が負傷で使えないとなるや、キーガンは老体スチュアート・ピアース(当時ウェスト・ハム)を呼び戻したり、スティーヴ・ガッピー(当時レスター)やスティーヴ・フロガット(当時コヴェントリー)という、国際レベルでは通用しそうにない“格違い”を抜てき(テスト)しようとしたほどである。
 しかし、そこまでレフティーにこだわる姿勢を示したキーガンの意地、あるいは意図を、今こそ評価するべき時かもしれない。彼は熱いメッセージを送っていたのだ。
「出てこい、若きレフティーたち。私は君たちをいつでも抜てきする用意がある!」

 そして、そのメッセージにいち早く応えるべく注目を一身に浴びていたのが、キーガンが就任当時から目をつけていた“極上のホープ”、ギャレス・バリーだったのである。

ユーロ2000で失われた出場機会

 当時19歳になったばかりのバリーの経歴を今、あらためてひも解けば、その理由も分かるというものだろう。U−16イングランド代表キャプテンの肩書きを引っ提げて、ブライトン・ユースから16歳でアストン・ヴィラとアプレンティス(練習生)契約を結ぶや、ユースチームのキャプテンに収まり、同年のミッドランズ・ユースカップで優勝、同リーグでもチームを2位に導く大活躍。しばらくしてU−18代表キャプテンに指名されている。
 少年のころからスポーツ万能で鳴らした恵まれた体は、父スタン(ブライトン)、叔父ケヴィン(チェルシー)譲りの良血ゆえ。学校時代はクリケット、ラグビーで共にエースの座を欲しいままにした。ちなみにラグビーチームでのポジションは要のSO(スタンドオフ)だった。そのせいか、ブライトン・ユース時代から、センターバック、レフトバック、中盤左サイド、中盤センターの各ポジションを、何不自由なくこなしたという。

 ユーロ2000で結局使われることがなかったのは、キーガンが若さ以上に国際経験のなさに目をつぶれなかったからだと言われている。直前の故障で外れたジェイソン・ウィルコックス(当時リーズ)の代役としてメンバーに加えられたことを考えても、キーガンは是非バリーを使ってみたかったに違いない。察するに、初戦のポルトガル戦で逆転負けを喫した時点で“リスクを犯す機会”が失われてしまったのだろう。
 その証拠に、あくまでフレンドリーとはいえ、2002年W杯を目指して出直しを懸けた9月の重要なフランス戦(アウェイ!)に勇躍抜てきされたバリーは、すべての不安を吹き飛ばす堂々たるプレーぶりで、キーガンをいたく喜ばせた。
 ヴィラの先輩であり、代表におけるライバルでもあるギャレス・サウスゲイト(現ミドゥルズブラ監督)も当時、手放しの称賛の言葉を惜しまなかった。
「最後まで落ち着きを失わず、国際レベルで十分にやっていけることを証明した」

回り道のその先に……

 一時、中盤でプレーする場合のスピードの物足りなさを指摘する声もあったが、体型からするとバックス向きと見られがちなのに、多くの関係者からMFとしての資質を高く買われていた。ちなみに少年時代の彼のアイドルはポール・ガスコイン!
 そう考えていけば、ラグビーで基礎を鍛えられ、フットボールに身を投じた後のさまざまなポジション経験を通じて身につけた「攻守にバランスのとれた実戦センス」は、代表チームという自在性を求められる環境で、特に中盤の底(ホールディングプレーヤー)にうってつけと見て何ら無理がない。

 キーガンはこれと見込んだ若者には徹底的にこだわる性格で知られていた。消息筋の話では、彼はこんな希望を漏らしていたそうである。
「いずれ、バリーはイングランドのキャプテンになるべき男だ」
 ついでに、サウスゲイトのコメントも紹介しておこう。
「バリーこそ、ヴィラの次期キャプテンにふさわしい」(それはまさに現実となった)

 U−16時代から、エースキャプテンの王道を歩いてきたバリーには当然の評価というべきだろう。ちなみに、ヴィラ・ファンは、かつてのヒーロー、ジョン・マッグラース(ヴィラで長年活躍した元アイルランド代表)に与えた「Son of God(神の子)」の尊称をバリーにささげている。
 かなり回り道をしたが、やっと「バリーの時代」がやって来た。少なくともそう信じられる――と、ひそかにうぬぼれている2007年の早秋である。

<この項、了>

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著者プロフィール

1953年生まれ。イングランドの古都バース在パブリックスクールで青春時代を送る。ジョージ・ベスト、ボビー・チャールトン、ケヴィン・キーガンらの全盛期を目の当たりにしてイングランド・フットボールの虜に。Jリーグ発足時からフットボール・ジャーナリズムにかかわり、関連翻訳・執筆を通して一貫してフットボールの“ハート”にこだわる。近刊に『マンチェスター・ユナイテッド・クロニクル』(カンゼン)、 『マンU〜世界で最も愛され、最も嫌われるクラブ』(NHK出版)、『ヴェンゲル・コード』(カンゼン)。

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