チームをひとつにしたFC岐阜の原点

五味幹男

苦境の中で立ち返った“原点”

 FC岐阜はこの3年間で急激な変化を遂げてきた。05年当時の顔ぶれで07年時点も在籍しているのは、森山をはじめ平岡直起(07年シーズン終了後引退。現MIOびわこ草津監督)、北村隆二ら数えるほどしかない。それは上を目指すために必要な変化であったが、同時にチームとして長い時間をかけて成熟させられないことを意味した。本来、苦境にこそ必要なものであるはずの“成熟”が――。

 だが、FC岐阜にはそれに代わるものがあった。「J昇格」という目標だ。
 日野はそれをチームで再確認できたことが、終盤に盛り返していけた理由だという。
「本来ならばJFLで優勝してJ2昇格がベストだったんですが、それがかなわなくなったとき、『J2昇格』という原点に立ち返れたことが大きかった。その目標に向けてもう一度、個々が気を引き締め、現実に気付けたからこそ、最終的に昇格できたんだと思います」

 終盤戦、ギリギリの状況で深津を支えたのも、その思いだった。
「残り3、4試合は、もう負けられない、もうミスはできないという感じで余裕はまったくありませんでした。胃が痛くなってピッチに立つのが怖いとさえ思ったほどです。でも、ここで上がるかしかなかった。もう1年やっても同じような成績は残せないと思います」

 雨降って地固まる。FC岐阜にとってJFLで戦ったシーズンはそんな1年だったのだろう。吉田が言うように「いろいろな意味で後がない。岐阜の背負っていたものは、これまでJ1のチームで経験したものとは異質だった」。若手もベテランも、FC岐阜に求めてきたものはそれぞれ違ったかもしれない。だが彼らはそのプレッシャーの中、大きなひとつの目標のもとに少しずつ温度差を狭めながら、結果を出したのだ。

それぞれの成長、新たな戦いへの思い

 この1年は、彼らにどんな変化をもたらすのだろうか。
 深津は言う。
「DFにとっては経験が大事。だからこの1年の経験は無駄にはならないはずです。J2でも最初はうまくいかないかもしれない。でも、水戸での経験も生かして緊張感を楽しめるようにやっていきたい。もちろん、その前にはチーム内でのポジション争いもある。技術面、精神面を成長させて1試合でも多く出場できるようにしていくだけです」

 日野には1シーズンフル出場したことで見えてきたことがあった。
「自分が出場するようになって気付いたのは、同じポジションで試合に出られない人の存在の大きさ。自分がその立場のときは分からなかったのですが、彼らがいるからこそ、自分があるのだと気づきました。かといってポジションを譲る気持ちはありません。今シーズンもフル出場が目標です。そしてやるからには代表を目指します」

 J2は吉田にとっても初めてのステージとなる。
「06年にザスパ草津、07年に徳島ヴォルティスに天皇杯でやられているので、それぞれが壁を感じているはずです。これからはどのチームも自分たちより力が上だという認識を持てるかがポイントでしょう。『上に行かないといけない』から『どれだけ戦えるか』。Jはより個の力が問われますし、これからはプロ選手として個がしっかりしてくる時期だと感じています。その上で、どこまでまとまれるか。チームがいつまでも居心地のいい場所であってはいけない。若手にはJ1クラブに引っ張られるような欲を持ってもらいたい。私も選手として、ピッチの内であっても外であっても、そのときできることを全力でやっていくだけです」

 FC岐阜にとってようやくたどり着いたJ2は、言うまでもなく楽園ではない。むしろ、これまで経験したことがない茨(いばら)の道が続く場所だ。しかし、だからこそ彼らの姿を見てみたい。それぞれの思いを胸に、さらなる高みを目指す彼らを。

<了>

2/2ページ

著者プロフィール

1974年千葉県生まれ。千葉大学工学部卒業後、会社員を経てフリーランスライター。「人間の表現」を基点として、サッカーを中心に幅広くスポーツを取材している。著書に『日系二世のNBA』(情報センター出版局)、『サッカープレー革命』『サッカートレーニング革命』(共にカンゼン)がある

新着記事

編集部ピックアップ

コラムランキング

おすすめ記事(Doスポーツ)

記事一覧

新着公式情報

公式情報一覧

日本オリンピック委員会公式サイト

JOC公式アカウント