平昌金メダル狙う男子モーグル界のホープ 原大智「新しい時代を築きたい」

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冬季アジア大会ではデュアルで銀メダルを獲得した原大智。期待のホープに話を聞いた 【スポーツナビ】

 里谷多英さん(1998年長野五輪金メダル、2002年ソルトレイクシティ五輪銅メダル)、上村愛子さん(長野五輪〜14年ソチ五輪まで5大会連続入賞)の活躍から、女子のイメージが強いモーグル競技。しかし、ここ数年は男子の活躍も目立ってきている。ワールドカップ(W杯)で7度表彰台に立ったエース遠藤尚(忍建設)に加え、冬季アジア札幌大会では19歳・堀島行真(中京大)がシングル、デュアルの二冠を達成した。

 そしてその冬季アジア大会のデュアル決勝で堀島と優勝を争い、銀メダルを獲得したのが、3月に20歳の誕生日を迎える原大智(チームジョックス)だ。昨シーズンはW杯年間ランキングで日本勢最高となる8位をマーク。今シーズンもW杯レイクプラシッド大会で記録した4位は、シーズンを通じて日本人最上位となった。

 そんな期待のホープはどのように成長し、平昌五輪やその先を見据えているのか。原が胸の内を明かしてくれた。

16歳で単身カナダ留学

16歳でカナダへ留学。技術、メンタル面で成長を遂げた 【写真:アフロスポーツ】

――モーグルを始めた時期、きっかけを教えてください。

 もう記憶にはないくらいの頃からコブを滑るのとジャンプが好きで、モーグルコースを滑っていてすごく楽しいなという感情が生まれていました。(斜面の)変化のない場所ではなくて、変化のある場所をずっと滑っているという感覚が楽しくて、ジャンプも空中に出るという変化がありました。競技として本格的に始めたのは小学校6年生の時です。

――東京の渋谷区立・広尾中の出身です。競技にはどう取り組んだのですか?

 週末や冬休みなど休みがあれば、父親の運転する車に乗って神立高原スキー場(新潟県湯沢町)に行く感じですね。週末に学校が終わったら湯沢に行って戻ってきて、月曜日から学校に行くと。

――12、3歳でそのスケジュールは大変ですね。

 大変でした、すごく(苦笑)。僕的にはモーグルをすごくしたかったのですが、親が教育面から学校はちゃんと行きなさいということで。でも僕自身は、ずっとモーグルをしていたいなという気持ちでした。

 湯沢へ伸びる(関越自動車の)関越トンネルがあるじゃないですか。あそこから出た瞬間って一気に雪景色になるんです。あの瞬間がいつもすごく楽しみで、見た瞬間にテンションが上がっていました。

――その後、16歳にしてカナダへモーグル留学をされました。

 はい、カナダに行って地元の高校に通いました。最初の1年は日本人だけが入る語学学校で1年間英語を勉強しました。それで、地元の高校に通って……。そこには日本人は学校全体で1、2人くらいでした。

――環境の激変で辛いことはありましたか?

 1、2年目は大変でした。1年目は習慣も大幅に違うし、ホームステイの方と合わなくてすごく辛くて眠れなかったり、泣いたこともけっこうありました。2年目は地元の高校に入ってからすごく大変でした。宿題が本当に分からなくて、毎日夕方の5時から深夜1、2時まで宿題をやるのが続いて。半年ほど経ってからは要領がつかめてきたのもあって、徐々に慣れてきて楽になりましたが。

――乗り越えられた理由を教えてください。

 特にないですね。必死に耐えていたという感じです。ここまでしてくれた親に途中で「嫌だ、帰りたい」と言うのは嫌だったんですよね。どれだけ辛くても最後までやり通そうと思って。本当に帰りたかったですよ。でも親が本当にお金をかけてくれているんだなというのが分かっていて、そこを裏切れないというのがありました。

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