今大注目の女子レスラー・山下りな 「探偵!ナイトスクープ」出演が野望!?

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今、女子プロレス界で注目の山下りなにインタビュー 【スポーツナビ】

 7月6日に開催された女子プロレス団体WAVEの後楽園ホール大会「SUMMER GAME」の第5試合、今年いっぱいでの引退を表明しているダイナマイト関西は、デビュー3年目の山下りなとシングルで激突。パワー、キャリアともに上回る関西が試合に勝利したものの、山下は関西のスプラッシュマウンテンを返すなど意地を見せ、激しい戦いとなった。そして試合後には「お前、強くなってきたんちゃうか? オレの教えられるものは全部教える。全部持っていけ!」と遺伝子継承を認める発言をさせている。

 そんな急成長の真っ只中にいる山下りな。二上美紀子社長、アイスリボンの藤本つかさ、シードリングの高橋奈七永も、口をそろえて2016年下半期の注目選手に「山下りな」の名前を挙げている。

 ではいったい山下とはどんな選手なのか? 今回スポーツナビでは、山下にインタビュー。プロレスとの出会いや、今後の野望などについて聞いてみた。

1カ月の入院も回復し、柔道で好成績

学生時代は柔道部に入部。自分を守るために練習し、結果、県2位という結果を出した 【スポーツナビ】

――早速ですが、簡単に自己紹介をお願いします。

 OSAKA女子プロレスの山下りなです。スポナビ初登場です! よろしくお願いします。

――ネット情報によると、元々柔道をされていたんですよね?

 はい、中学校の部活で始めました。学生時代ってほかに何をやってたんだろう? 絵を描いたり本を読むのが好きだったんですけど、本当に6年間、部活以外の記憶がないです(笑)。

――柔道を始めたきっかけは?

 何だったんだろう? 多分、部活動紹介が面白かったからかな? 私の学年って同級生で柔道をしたいって子が結構いたんですよ。それで私は小さい頃から山の中とか走り回って足腰が強かったので、中学3年間やり続けた感じです。
 中学校の時は1回戦で負けるような、逃げ腰の選手でした。でも高校へ練習に行かせてもらったりしたのですが、そこで出会った先生が、たまたま私が通う高校の柔道部の監督で、「うちの高校に入学したんなら、一度練習に来なよ」ってことで、柔道着を持って練習に行ったら入部することになったんですよね。

――高校でも絶対柔道をやりたかったというわけでなかった?

 そうですね。ノートの端に絵を書いたり、漫画を読んでばっかりいて、それを模写するのが好きだったので、美術部も捨てがたいなと(笑)。
 それにもともと柔道を続けるなら女子柔道部のある学校というのが頭にあったんですけど、私の行った学校は女子柔道部がなくて、入部した時は女子1人だけだったんです。

――となると練習相手も全員男子だった?

 そうなんです! それも寝技を強化するという方針がある学校で、「寝技が強ければ立ち技も強くなる」というのが監督の持論だったし、しかも団体戦に力を入れていたので重量級の先輩も多くて、乗っかられただけでギブアップでした。だから努力しましたよね。柔道って、耳がつぶれている選手がよくいるじゃないですか? あれって寝技の練習とかでなるんですけど、私はそれが嫌だったし、入部したての時に耳がすれて痛くなっちゃたから、(寝技で)潰される前に逃げようと。だから、とにかく技術の前に力をつけるために、上り坂を上りまくって足腰を強くして、耳が潰される前に頭を抜く方法を身につけました(笑)。

――自分を守るために強くなったと。

 そうですね。まあもともと柔道も護身術ですからね。護身をしてましたよ、耳を中心に(笑)。ただやっぱり(好不調の)波があって、途中で1カ月ぐらい入院したこともあったんです。
 それは減量などもあって体重の増減が激しくて、体中の赤血球が少なくなってしまったんです。検査をしたら普通の人の4分の1以下になっていて、すぐに大学病院で入院したんです。赤血球って体内で酸素を運ぶ役割をするじゃないですか? だから私ってスタミナが全然なくって、その半年ぐらい前からは歩くだけでめまいをしてしまう状態。何でなんだろうなって思ったら、入院になったんです。それからは薬を飲んだりして回復していったんですけど、そこからですね。柔道も強くなったのは。退院をしてから1カ月ぐらい頑張って練習したら、その後の大会で県2位になれました。ただもっと勝てるなら上を目指したかもしれないですけど、柔道は高校でいったん止めました。

大阪へ出ることになったきっかけ

プロレス好きのオーナーがいる飲み屋で、世志琥らの試合を見ていた 【横田修平】

――高校を卒業した後の進路はどう考えていたのですか?

 甘いものが食べたいなーと(笑)。減量が多くて食事制限もあったからなんですけど、そこから2年間、福岡のパティシエ専門学校に行きました。その後は宮崎で就職をしたんですけど、その会社を辞めて大阪に来ました。

――大阪に引っ越した理由は何だったんですか?

 漫画が好きで、絵を描きたいって気持ちがあったんですけど、なかなか仕事が辞めづらくって。親にも迷惑をかけたくなかったし、仕事もすごく忙しくて、辞めると言いづらかったんですけど、そんな時に、福岡にいた親友の言葉が後押してくれたんです。
 彼女から連絡が来て、「夢の中でりなが絵を書いていて、それがすごくうまくって。みんながマネしようとしても、マネができなかったんだよね」と言ってくれたんです。実はその連絡の3日後、彼女が交通事故で亡くなってしまって……。その時に自分が何をしたいのかとかいろいろ考えていたのがすべてリンクして、やりたいことをやりたいなと。それでインターネットで知り合った仲が良い人がいたので、大阪に行こうと決めたんです。
 それで仕事を辞めて引越しをして、漫画を描きながら、同人誌のイベントに行ったりして。そこでいろいろな人と仲良くなって交流が生まれ、それこそ私のTシャツやコスチュームをデザインしてくれるプロのデザイナーさんとかに出会ったりして、そんな生活だったから、今を生きてるなって。

――その中でプロレスに出会ったんですよね。これもネット情報ですが、飲み屋のオーナーさんが勧めてくれたと?

 そうです! その頃働いていた職場の近くにプロレスラーの方が来るお店があって、そこのオーナーさんもプロレスが好きだと。だから1回飲みに行こうと思って行ってみたら、お店のマスターも常連の方も気さくな方で、仲良くなったんです。それで、みんなでプロレスを見に行ったり、飲みに行ったり、最近はみんなで釣りに行ってますよ。
 そのお店でプロレスや格闘技の番組が流れていて、そこで見たのが世志琥だったり、関西選手だったり。

――もともとプロレスは見ていたんですか?

 直接見たことはなかったですけど、それこそ小さい頃の夏休みの宿題で「自分の町のことを調べよう」という宿題があって、私の町(鹿児島県薩摩川内市)には大綱引き祭(川内大綱引)があって、それにアジャ・コング選手が来てましたってニュースがあったので、それを宿題に書きました。今ではそんな選手と試合してるんですけどね(笑)。

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