ジダンの監督就任でレアルに生じた変化 訪れた落ち着きと新指揮官への絶大な信頼

深刻な状況にあったレアル・マドリーだが……

1月4日、ラファエル・ベニテスが突然解任され、後任にはクラブのレジェンドであるジネディーヌ・ジダンが就任した 【写真:ムツ・カワモリ/アフロ】

 わずか3週間前まで、レアル・マドリーは深刻な状況にあった。ラファエル・ベニテス前監督に明るい未来が待っていないことは明らかだったものの、シーズン半ばに監督を替えるのは早過ぎる。平行して不安定なパフォーマンスを繰り返すチームからは無気力さがにじみ出ており、もはや移籍市場でインパクトを与えることでしか、ネガティブな状況をごまかす術(すべ)はないかと思われていた。

 しかし、ここでフロレンティーノ・ペレス会長が近い将来に重要な意味を持ち得る手段を講じることで、事態は予想外の方向へと発展することになった。

 少し前まで再三ベニテスへの支持を公言してきたにもかかわらず、またもペレスは何食わぬ顔で態度を豹変(ひょうへん)させた。長く輝かしいキャリアを持つ指揮官との契約解除を1月4日、突然に決断。後任にはレアル・マドリーの近代史におけるビッグスターの1人であり、過去にはペレスの助言役も務めたジネディーヌ・ジダンが就任した。

 しかし、まだジダンはトップレベルのチームを任されるだけの準備を整えていたわけではない。監督としての経験の浅さ、エゴの強いスター選手たちをまとめるには優し過ぎる性格などを理由に、多くの人々がジダンの監督就任に不安を抱いていた。それはこれまで常に賞賛に値する謙虚さ、誠実さを保ち続けてきたジダン本人も同じだった。

 ジダンはサンティアゴ・ベルナベウの“照明の光”に惑わされることなく、短いながらもカンテラ(下部組織)からトップチームまでにいたる現場で見てきた経験を着実に吸収しながら、しかるべき時が来るのを待つことを望んでいた。彼がこの大いなる挑戦を受け入れたのは、ベニテスが解任された後のことだった。

チーム構成に変化なし、戦う姿勢には明らかな変化

ジダン就任後、イスコ(左)が先発に名を連ねる機会が増加している 【Getty Images】

 そんなジダンが就任した後のレアル・マドリーからは、いくつか興味深い現象が見てとれる。

 まずチームの構成が全く変わっていない。ベニテス時代から重用された先発メンバーの維持は、ジダンがとりわけテクニックに優れた選手たちを高く評価していることの表れだと言えよう。

 唯一の変化はイスコが先発に据えられるようになったことだが、代わりに外されたハメス・ロドリゲスはベニテスとの関係悪化が進んでいただけでなく、監督交代前からコンディションの低下や夜遊び癖が指摘されていた。あとは17日のスポルティング・ヒホン戦でセルヒオ・ラモスがけがで欠場したことくらいだ。

 一方、選手たちの戦う姿勢には明らかな変化が見られる。今の選手たちはこれまで抱えてきた重荷を降ろしたかのように機敏に、かつ自由に動き回っている。それはまるで重圧に苦しんだことなど一度もなく、思い通りに自身の肉体を操っていた現役時代のジダンまで彷彿(ほうふつ)とさせるほどだ。

 プレー内容についてはまだ結論を出せる段階にはないが、ビセンテ・デルボスケが率いていた約13年前のチームに少しずつ似てきた感はある。フットボールはゲームであり、たとえ勝つことが義務づけられているチームであっても、楽しんでプレーすることはできるのだ。

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著者プロフィール

アルゼンチン出身。1982年より記者として活動を始め、89年にブエノス・アイレス大学社会科学学部を卒業。99年には、バルセロナ大学でスポーツ社会学の博士号を取得した。著作に“El Negocio Del Futbol(フットボールビジネス)”、“Maradona - Rebelde Con Causa(マラドーナ、理由ある反抗)”、“El Deporte de Informar(情報伝達としてのスポーツ)”がある。ワールドカップは86年のメキシコ大会を皮切りに、以後すべての大会を取材。現在は、フリーのジャーナリストとして『スポーツナビ』のほか、独誌『キッカー』、アルゼンチン紙『ジョルナーダ』、デンマークのサッカー専門誌『ティップスブラーデット』、スウェーデン紙『アフトンブラーデット』、マドリーDPA(ドイツ通信社)、日本の『ワールドサッカーダイジェスト』などに寄稿

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