コリンズ監督がたどり着いた新境地 メッツをWSに導いた老将の手腕とは
メッツをナ・リーグ優勝に導いたコリンズ監督。オリックスやWBC中国の監督など、こここまで歩んできた道のりは決して順風満帆ではなかった 【Getty Images】
マット・ハービー、ノア・シンダーガード、ジェーコブ・デグロームという若手3本柱が評判通りの投球を続け、伏兵ダニエル・マーフィーがなんとNLCS全4試合で本塁打(地区シリーズから通算でポストシーズン記録の6戦連続本塁打)を放ってMVPを獲得。実に107年ぶりの世界一を目指したカブスを蹴散らし、1986年以来の優勝に向けて一歩前進した。
10月21日(日本時間22日)の第4戦を8−3で制してシリーズ勝利を決定後、メッツの選手たちは敵地シカゴで喜びを爆発させた。そして、このチームの指揮を執る66歳のメジャー最年長監督、テリー・コリンズ監督にとっても、野球人生で最高の瞬間だったことは間違いない。
「最高の人々に囲まれていると感じた。特別な瞬間だ。このゲームをプレーするすべての人間にとって究極のシリーズについにたどり着いたんだ」
晴れてナ・リーグ優勝監督となったコリンズは、感無量の表情でそう語った。これまで老将が歩んできた紆余曲折の道を思えば、ここで思わずエモーショナルになったのも当然だったのかもしれない。
適応能力の乏しさで“失敗”の烙印
07、08年には日本のオリックス・バファローズで、09年のワールド・ベースボール・クラシックでは中国代表の監督を務めたこともある。しかし、コリンズ指揮下でのオリックスは通算83勝105敗(5引き分け)と惨敗。08年の途中に辞任し、“失敗”の烙印を押されたまま日本を去ったことを覚えているファンも多いはずだ。
「フィールドに戻りたかったからオリックス監督を引き受けた。だが、向こうでは事情が違っていた。私はボビー(・バレンタイン)のように上手に適応できなかった」。かつて日本での経験をそう振り返ったことがあったが、実際にはコリンズの適応能力の乏しさが露呈されたのは異国でだけではない。
来日前最後にメジャーで監督を務めた1999年にも、エンゼルスのベテラン選手からの信頼を失った。最終的に選手たちがコリンズとの契約を延長しないことを上層部に嘆願する事態にまで発展し、その年の9月に止むなく辞任している。
「大変な情熱家で、若手の育成能力にも長ける。ただ、ベテランもルーキーも同じように扱うため、スター選手とのコミュニケーションがうまく取れないケースがある。余りに熱血漢過ぎて、次第にチーム全体を疲れさせてしまう」
メッツ監督就任時、コリンズのパーソナリティに詳しい関係者が赤裸々な評価を聴かせてくれたことがあった。そんな過去の経歴を考慮すれば、2011年にメッツから再び監督の声が掛かったこと自体が驚きだったと言える。
長い再建を続けるチームが、安価で済むコリンズに優勝が狙える時期まで若手育成を任せたいという思惑があったのだろう。いわば“過渡期の橋渡し監督”。本気で勝ちにいく時期が来れば、メッツは新たに実績ある指揮官を雇うだろうと考えた地元メディアは少なくなかった。